『鎌倉幕府と執権政治について』
本論では、源頼朝による鎌倉幕府の確立に始まる鎌倉時代を、主に執権政治の成立とその展開から把握する。初期においては頼朝の専制支配の色調が濃かった鎌倉幕府の体制は、頼朝の直系が途絶えたこともあって有力な御家人による合議制へと変遷していく。そしてその中で執権の地位にあった北条氏一門の権勢が拡大していき、得宗権力による専制政治がおこなわれるようになる。
まずは、将軍の専制政治ともいうべき初期の鎌倉幕府について述べる。鎌倉幕府はそもそも一気にできあがったわけではなかった。治承四年(一一八〇)、打倒平氏のために挙兵した頼朝は、御家人を統治するための侍所を設置した。ここから、寿永二年(一一八三)の朝廷からの宣旨や寿永三年(一一八四)の公文所・問注所の設置、文治元年(一一八五)の守護・地頭の設置などによって幕府の永続的な支配体制が整い、建久三年(一一九二)に頼朝が征夷大将軍の地位を得たことにより鎌倉幕府が成立する。鎌倉幕府の主従関係は、頼朝と家臣である御家人のきわめて個人的な関係であった。御家人は将軍に対して軍役をつとめたり、将軍御所修造などの経済的負担を負ったり...