日本における幼児洗礼の今日的意義
一般的な幼児洗礼の考え方は、幼児が両親及び教会の信仰に基づいて受ける洗礼である。又、いわゆるキリスト教国においては慣習的な義務になっていた。ヨーロッパの伝統的なキリスト教世界では幼児洗礼は国を支える要であった。しかし、幼児洗礼は本人の自覚的な信仰においての洗礼ではない事から、キリスト者である両親においても、幼児洗礼を受けさせず、成人に達してから自らその信仰を表し、洗礼を求める場合もある。私の母教会では、比較的子どもが多いにも関わらず、幼児洗礼を受けているのはクリスチャンの両親を持つ3人の兄弟のみである。それでは、幼児洗礼の今日的な意義はどこにあるのであろうか。
それではそもそも、洗礼にはどのような意味があるのだろうか。教会によっては本人の自覚的な信仰のない幼児洗礼を容認しないところもある。これは洗礼が新約聖書の「信じて洗礼を受ける者は救われる」(マルコ16:16)ことを重要視し、自発的に神を信じることを求めているからだ。
キリスト教において、洗礼は個人の救いに関わるだけでなく、キリストの体としての教会の一員になることを意味している。
洗礼は受洗...