『戦後美術教育の変遷について、以下に示す3つの語を用いて説明しなさい。(学習指導要領、民間美術教育、DBAE)』
昭和22年、教育基本法と学校教育法が公布され、新しい学校制度のもとでの教育が始まる。これにより、図画工作科が出現した。連合国軍の占領下にあることもあって、生活主義・実用主義的な美術教育が学習指導要領図画工作編(試案)として示されている。
昭和27年、日本が独立した前後に、日本教育版画協会、創造美育協会等の民間美術教育運動団体が組織され、創造主義的美術教育や生活版画を主張した。以後こうした民間教育運動団体が力をもって、美術教育をリードしたため、この時期10年間余は「民間美術教育運動主導時代」(昭和27年~39年)と位置づけられる。
こうした民間美術教育団体の活動が活発になった中で出された昭和33年の小学校・中学校学習指導要領は、試案ではなく、文部省告示という形をとり、法的拘束力をもつようになった。
その後昭和40年代は、民間美術教育運動の沈静化を受け、この時期は「系統主義時代」(昭和40年~51年)と位置づけられる。教育界全体が系統化への道をさぐり、「教育内容の現代化...