『鎌倉幕府と執権政治について』
鎌倉時代の政治は、源頼朝による政治から北条氏による執権政治へと移り変わっていった。このリポートでは、まず執権政治のはじまり、次にその成立と発展、そして得宗とよばれる北条氏本家に権力が集中した得宗専制政治、最後に執権政治の衰微と鎌倉幕府の滅亡という時代の流れにそって述べていくことにしたい。
○執権政治の始まり
鎌倉幕府を開いた源頼朝は、絶対権力者として東国武士のうえに君臨した。その頼朝が正治元年(1199)に死ぬ。頼朝の死後、二代将軍に就任したのは、頼朝の長男頼家だった。しかし、位についてからわずか三か月後、独断的なふるまいが御家人の反感を買い、頼家による政務は停止され、政治は有力御家人13人による合議制のもと行われることとなった。
この13名のうち、頭角を現したのが頼家の外祖父・時政(北条政子の父)である。時政は頼家を伊豆の修禅寺に幽閉して殺し、頼家の弟であった実朝を将軍にたて、梶原景時や畠山重忠といった重臣を倒して幕府の実権を掌握し、政所(公文所)の別当(長官)となった。この地位は「執権」と呼ばれ、これがいわゆる「執権政治」のはじまりとされる。しか...