18世紀においてイギリスが他国に先がけて小説を生み出したのは何故かをイギリスの歴史とそれが生み出す社会を考察しつつ述べよ。
エリザベス女王の死後、イングランド王位を継承したスコットランド国王ジェイムズ一世はその子チャールズ一世と共にイギリスの制度・習慣や国民感情について全く無理解であり、王権神授説によって国王の神権を主張した。当時、経済的にも社会的にも有力な存在となってきていた自営農民出身の産業資本家や都市の商工業者などの中流市民階級の多くは、ルネサンスの影響を受けて、高い自覚と教養を身につけており、多くの清教徒を含む産業市民層によって代表されていた下院議会において国王の専制に対抗し、「権利の請願」を提出して、国王は国民に一切の献金や税を強制したり、その身体の自由を不法に拘束されぬよう求めたが、チャールズ一世はこれを無視して、国教を励行してカルヴィン派(=改革派)に属する清教徒(=ピューリタン)などに圧迫を加えた。ここに清教徒革命が起こり、クロムウェルの率いる清教徒軍の勝利に帰し、共和制、すなわち国家に君主を置かない政体が宣言された。
クロムウェルは1651年、航海条例を発布し、イ...
政治や社会の変化が、市民(=文学者)に与えた心理的・社会的影響に注目して論述しました。