『三国伝記』巻十二 第三「恵心院源信僧都事」における唱導文学的特徴について述べよ。
三国伝記は十二巻から成り、室町中期に成立していたと推測される。序文では、天竺の僧である梵語坊と大明の俗漢字郎、本朝の遁世僧である和阿弥という人物が丁亥の年の八月十七日の夜に東山の清水寺に参会し月が出るまでの間の余興に物語を語り合ったとされ、玄棟という人物が編纂した。
三国と題にあるように、インド、中国、日本の三国の説話を三国伝記とは称されながらも、実際は仏教に関する記述が多いことは、ここに三国伝記が作られた唱導文学として成立した経緯を伺い知ることができる。
「恵心僧都源信」については、平安中期以降の天台宗の僧侶であり「往生要集」三巻を編纂したことから、法然上人の浄土宗や親鸞聖人の浄土真宗が成立するきっかけにもなった。
晩年には「一条要決」を著し、法相宗の三乗説を論破し天台宗との論争に決着をつけた。その功績から僧都に任命されたが、後に辞退している。
「往生要集」については、衆生が輪廻を流転することから解脱し、阿弥陀仏の極楽浄土に救いを求めるために念仏往生を説いている。
源信は仏教を広めた人物で、...