『徒然草』第7段、第51段、第60段、第74段、第92段、第106段、第155段を読み、そこに共通する作者の考えを論ぜよ。
『徒然草』第7段、第51段、第60段、第74段、第92段、第106段、第155段を読み、そこに共通する作者の考えを論ぜよ。
まず吉田兼好は『徒然草』の第七段において、「命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし」(この世に生きるものを見てみると、人間のようにだらだらと生きているものも珍しい)と述べている。
要は「人というものは、生きすぎだ」だと言っているようだ。
読むとさらにこう続く。
「住み果てぬ世にみにくき姿を待ち得て、何かはせん」(永遠に存在することなどできない世の中で、醜い姿になるまで生きて、何になるのだろうか)。
「ひたすら世を貪る心のみ深く、もののあはれも知らずなりゆくなん、あさましき」(世俗的な名利を欲しがる心ばかり強くなり、物事の情趣を感ずる心もなくなっていくのは嘆かわしい)。
この段は『徒然草』の中でも特に有名なものである。平均寿命が四十代前半であった当時において、『徒然草』を執筆した兼好自身、ちょうどその年齢にあった。皮肉にも兼好はこの後、倍近くも生きることになるのであるが、それはさておき、ここにあるのは彼の強烈な無常観である。
次に第七十四段。
「常住ならんこと...