安永四年、無名の武士で画家の恋川春町が『金々先生栄花夢』を出した。この内容はこれまでの黒本・青本と全く異なっていた。まず、序文が漢語や故事まじりの戯文であった。「文に曰く、浮世は夢の如し、歓びをなす事いくばぞやと。誠にしかり。金々先生の一生の栄花も邯鄲のまくらの夢も、ともに粟粒一すひの如し。金々先生は何人といふことを知らず。おもふ古今三鳥の伝授の如し。金ある者は金々先生となり、金なきものはゆふでく頓直となる。」とあるが、「金々先生」の「きんきん」とは、当世風のパリっとした身なりをして、得意然とすましているさまをいう流行語である。それを金々満々の意に転じて、遊里でちやほやされ、自ら通人ぶっているのも、実は金のおかげだという、えせ通、半可通への痛罵がここにはこめられている。「ゆうでく」は田舎者、「頓直」はきざな半可通や野暮を罵る、これも当時の遊里の通言である。この作品が他の洒落本の発想に根強く基づいていることを、この序文は示しているのであろう。
このように当時の流行語が次々と会話の中へ飛びだしている。珍しい言葉を知り使いこなすことができるのは、自分が他の人と違った特別の感覚を持っている...