「日露戦争の原因とその国際情勢および日本への影響」
私は日露戦争の原因が満蒙を巡る対立にあると考える。それは義和団事件(明治三二‐三四年にかけて発生した、宗教団体義和団による反西洋、反キリスト教の排外運動。「扶清滅洋」を謳い、近代的設備や施設、教会を破壊。その教徒までも殺害した事件。)にまで遡り、日本の国防方針にも強い影響を与えた。
事件発生後、義和団が北京へ着き、清国政府が西太后の支持を得ると、明治三三年六月二一日に万国に対し宣戦布告した。日英米仏独露伊墺の八ヵ国は、領事館や居留民保護のために北京へ軍隊を派遣。その際、ロシアは七月から満州に出兵し、義和団鎮圧とともに当地を占領した。それに脅威を感じた英国は、自国の権益を守るために「光栄ある孤立政策」を転換し、明治三五年二月に日英同盟を締結した。
その主たる内容は「1、日英両国は清韓両国の独立、領土保全を確認する。2、日本は清韓両国における、英国は清国における特殊利益を相互に承認する。3、日英両国の一つが第三国と交戦する場合、他の一国は中立を守り、数国との交戦の場合、他は参戦する。4、有効期間五ヵ年」である。これにより、日本は三国干渉以来の孤立状態から、また英国は極東において孤立する危険...