再生医療レポート
2010/06/30 提出
出典文献情報
The journal of Clinical Investigation , Volume120, Number3, March2010
High-mobility group box 1 is involved in the initial events of
early loss of transplanted islets in mice
Nobuhide Matsuoka, Takeshi Itoh, Hiroshi Watari, Etsuko Sekine-Kondo, Naoki Nagata, Kohji Okamoto, Toshiyuki Mera, Hiroshi Yamamoto, Shingo Yamada, Ikuro Maruyama, Masaru Taniguchi, and Yohichi Yasunami
再生医療の講義の中で最も印象深いのが、細胞治療である。細胞治療は損傷を受けた組織や自己寛容のエラーによって欠損した組織細胞をレシピエントに移植することで疾患の治療を目的とする方法であり、臓器移植より侵襲性が少ない効果的な治療法として研究が進められている。
Ⅰ. 文献の概要
現在、特に北欧や先進国において治療や二次予防が必要とされている疾患の一つに糖尿病がある。Ⅰ型糖尿病を含む重篤な患者においては基礎インスリンが枯渇しているため血糖値コントロールは非常に難しく合併症発症リスクが大きい。重篤な合併症には網膜症、腎症、壊疽が挙げられ、治療にかかる医療費の増大および患者のQOLの低下が著しい。これらのリスクを回避する目的で重篤な糖尿病の患者の根治療法として膵島細胞の肝臓内移植が行われてきた。しかし、膵島移植は他人の組織を移植するために、拒絶反応が起こり生着には多量の細胞が必要である。研究グループは、臓器移植後の拒絶反応とは別のメカニズムで起きる移植後数時間の早期拒絶反応のメカニズムを明らかにした。早期拒絶反応を免疫抑制剤で抑制することはできず、移植後数時間で移植した膵島細胞が破壊されてしまうため、膵島細胞の生着には1人のレシピエントに対してドナー2-3人分の膵島細胞が必要であり、ドナー不足が問題となっている。
早期拒絶反応のメカニズムの解明と問題の解決に向けて、研究グループはストレプトゾトシン選択的に膵島細胞を破壊した糖尿病モデルマウスを用いて実験を行った。早期拒絶反応は、NKT細胞が指令を出して多形核白血球からのIFN-γの産生を促進することによって起こることが明らかにされてきたが、細胞応答の詳細や直接関係している物質の同定は行われていなかった。そこで研究グループは、血液中にはほとんど存在せず、膵島細胞の核内に偏在する転写調節因子であるHMGB1に着目してそのメカニズムを明らかにした。HMGB1が膵島細胞外へ放出されると、樹状細胞やマクロファージといった免疫担当細胞を介した免疫応答によってNKT細胞を活性化し、その結果多形核白血球からIFN-γ産生を誘導して膵島移植後の早期拒絶反応を起こすと考えた。
このメカニズムは以下に示すそれぞれの実験結果によって証明された。まずHMGB1受容体として知られるTLR2やRAGEが樹状細胞と多形核白血球に高発現していることがわかった。TLR2やRAGE が拒絶反応へ関与していることは、TLR2およびRAGE 欠損糖尿病モデルマウスでは早期拒絶反応が起こらず、通常の野生型マウスの約4分の1の細胞移植で血糖値が正常化したことによって証明された。樹状細胞からNKT細胞の活性化にはサイトカインの一種であるIL-12が関与し、HMGB1の膵島細胞外への放出は肝動脈への移植の際に起こる虚血現象が引き金となって起こることが分かった。
研究グループはHMGB1の血中量を、抗体を用いた判定キットで判定するシステムを開発した。移植後3時間で血中HMGB1濃度は高値を示し、6時間で最高値に達することが分かり、移植後の早期拒絶反応の原因物質の血中推移を測定することに成功した。これまで移植後早期拒絶反応の開始を判定できる的確なバイオマーカーがなく、今回の結果は膵島移植拒絶反応の指標となる。
治療法を確立するために抗HMGB1抗体や、HMGB1の受容体への結合から引き起こされるカスケード反応に関わる分子に対する抗体を用いて膵島細胞移植後の早期拒絶反応を抑制できるか否かを検討した。膵島移植前に抗HMGB1抗体や抗IL-12抗体、樹状細胞活性化に必要なCD40リガンド抗体を投与することにより、膵島移植の効率は飛躍的に改善し、これまでの4分の1の細胞数の移植で糖尿病モデルマウスを治療することができ、極めて治療効果の高い抗体を併用した細胞治療法になることが判明した。このうち抗HMGB1抗体は、HMGB1が通常血液中に存在せず膵島移植拒絶反応を引き起こす特異的な物質であることから、副作用の少ない細胞治療における併用療法としてヒトへの応用が期待できる。この研究の成果は、今後糖尿病における細胞治療の効率化に画期的な進歩をもたらすといえる。
Ⅱ. 意見
私は、ドナー不足や細胞の定着率の悪さから普及が進まなかった糖尿病の根治療法の発展に寄与するこの研究成果は、高く評価されるべきだと考える。インスリン依存性の重篤な糖尿病患者の治療としてまず適用されるのは、ペプチド製剤である遺伝子組み換えインスリン製剤の皮下注射による治療であるが、頻回注射法やポンプ療法など臨床的な治療法の確立が進歩する半面、根治療法の研究はあまりなされていなかった。
この研究は移植細胞そのものだけではなく、免疫応答など個体全体のプロテオミクス解析の観点から拒絶反応の問題を解析している点で興味深い。講義では、iPS細胞を最終的には人工の臓器に近い形まで分化させて移植のドナーとして供給するということを目的とした研究がおこなわれているという話題が度々登場した。しかし私は、人工的な遺伝子の自己増幅能をもった人工細胞を移植することで新たな問題が生じるのではないかと考える。遺伝子発現の調節には多くのタンパク質が関わる複雑な機構が存在するため、移植された細胞から翻訳されたタンパク質による微妙な生体内環境の変化が、宿主細胞の代謝や遺伝子発現調節に影響して新たな疾患の原因となったり、生体防御機構によって移植細胞およびそれに影響を受けた正常細胞が破壊されてしまう可能性があり、研究開発や創薬に資本を投入する割には治療効率が悪い。この研究論文において、ドナーの膵島細胞はレシピエントと異なる遺伝子を持つために拒絶反応が起こるのは容易に予測できるが、たとえレシピエント自身から作成したiPS細胞を分化誘導して得られた膵島細胞を用いた細胞移植を行ったとしても、iPS細胞作成の際の遺伝子導入によりレシピエントの遺伝子とは完全には一致しない細胞を移植することになり、拒絶反応は避けられないと考える。さらに疾患の治療法として利用する上での根本的な問題として、iPS細胞作成時などに必須である遺伝子の導入は制御が難しく、手法や実験条件によってできてくる細胞の塩基配列は厳密には同一のものにならない。すなわち、糖鎖の種類などを含めた生物学的同一性を確保するのが難しく、治療薬として開発・管理・応用するのに莫大な費用と時間がかかり実際の治療への応用は経済的に現実的ではない。
一方で、ある時点でのある状態における細胞に発現しているタンパク質や免疫応答のメカニズムの解明によって拒絶反応や免疫応答を抑制し、効率的に細胞治療を行おうとする考え方は、各生物種の各疾患をもつ個体に共通の生体内分子を標的にして創薬を行える点で、汎用性が高いと言える。
つまり今後は、iPS細胞などから作成した臓器をドナーとして用いるというテーラーメイドの再生医療を進める方向性ではなく、人体のプロテオミクス解析による疾患の発症メカニズムやバイオマーカーの研究開発が再生医療において最も重視されるべきであると考える。現段階では、iPS細胞の分化誘導の研究などテーラーメイド医療の発展が重要視されている印象を受けるが、細胞治療を成功させる上では、プロテオミクス解析および抗体医薬など生体内分子標的薬の発展こそ必須であると考える。iPS細胞の分化の研究成果は、分化誘導された組織や臓器を用いた薬物のスクリーニングや動物実験の代替法として用いることができるが、その技術のみで広く臨床に応用することは現実的ではない。プロテオミクスによる成果との併用によって、多くの患者を対象とした再生医療に寄与することができる。
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