Ⅰ教育課程における保健の位置づけの変遷
わが国で「教科」として保健の授業が本格的に始まるのは、戦後のことであるが、学校教育の中では明治5年の学制発布以来、何らかの形で「保健の教育」が行われてきた。
1戦前の教育課程にみる「保健の教育」
明治5年の「学制」によって、「養生法」が下等小学(6~7歳)の教科目として位置づけられ、上等小学(13歳)には「生理学大意」が示されていた。
明治12年の「教育令」により、教科目からは消え、その後、「修身」「理科(生理)」の内容に吸収された。
明治14年には、「小学校教則綱領」「中学校教則綱領」が出され、そこでは、「徳性の滋養」を目的とした「修身」が教科目の一番目に位置づけられ、「養生法」は徳目を説く「保健の教育」になった。
9
「我が国の保健科教育の歩みについて述べよ。」
Ⅰ教育課程における保健の位置づけの変遷
わが国で「教科」として保健の授業が本格的に始まるのは、戦後のことであるが、学校教育の中では明治5年の学制発布以来、何らかの形で「保健の教育」が行われてきた。
1戦前の教育課程にみる「保健の教育」
明治5年の「学制」によって、「養生法」が下等小学(6~7歳)の教科目として位置づけられ、上等小学(13歳)には「生理学大意」が示されていた。
明治12年の「教育令」により、教科目からは消え、その後、「修身」「理科(生理)」の内容に吸収された。
明治14年には、「小学校教則綱領」「中学校教則綱領」が出され、そこでは、「徳性の滋養」を目的とした「修身」が教科目の一番目に位置づけられ、「養生法」は徳目を説く「保健の教育」になった。
明治19年には、「小学校令」「中学校令」等が出され、教科書の検定制度も始まり、修身と体錬(学校体育)を重視した国家主義教育へと傾きを強めていくことになる。
明治24年には、「保健の教育」の位置づけは縮小され、一方、養生の必要性は増大していくことになる。
...