■井上蔵相の登場
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第一次大戦後,相次ぐ恐慌に際しての過剰な救済融資がインフレと工業の国際競争力不足を招き,入超が継続して円為替相場の下落と動揺が続いていた。そこで浜口内閣は,緊縮財政により物価を引下げ,産業合理化を促進して国際競争力の強化をめざし,その上で旧平価による金解禁を断行し,円為替相場の安定と経済界の整理をはかった。ところが,世界恐慌の影響が重なって昭和恐慌となり,輸出激減・正貨流出・企業倒産などを招いた.
1920年代 何度も恐慌に見舞われる
→満州事変・ファシズム・日中戦争の引き金となる。
中でも深刻であったのが昭和恐慌。
日本を国際経済と直接リンク(金本位制)させ、国際競争力をつけることで産業の活性化を図ると共に、産業合理化を進めることで、弱い企業を淘汰していくという方針(非常に典型的なデフレ政策)を立てた。意図的なデフレ政策をとったことで知られている。
1929年成立の浜口雄幸内閣時の井上準之助大蔵大臣
背景)・工業の国際競争力の低下
・インフレ傾向→入超が継続、円為替相場の下落と動揺
3本柱
・金解禁(金本位制の復活による自動調整機能)
1917年来の金輸出禁止に終止符
1930年 旧平価による金輸出解禁→10%程度の円高
目的)国際競争にさらして日本経済の再建・強化をめざす
デフレ政策・・・円高のもと輸出を伸ばすためには国内の物価水準を引き下げなくてはならないから
・国債整理 高金利。非募債
・財政緊縮・金融引締め政策
1931年の満州事変、イギリス金本位制停止後、
ドル買い強まる。金の大量海外流出
財閥の勝利
結果)物価下落と輸出の減少
金の海外流出
世界恐慌が日本にも波及し、
解禁による不況があいまって、不況が深刻化し、
日本経済は空前の不況に陥る。(昭和恐慌)
失業者は増大し、労働争議も頻発した。
農産物価格の低迷に苦しむ農村は農業恐慌に襲われていた。
生糸の輸出不振など世界市場の萎縮は、貿易依存度の高かった当時の日本に大きな打撃であり、国際的な価格の下落が金解禁政策によるデフレ圧力に加わって物価は短期間に三五%も下落し、企業の破綻、株価の暴落、失業の増大をもたらした。さらに悲惨を極めたのが、冷害による不作が加わった農村であり、「娘の身売り」や家族の離散などが後を絶たなかった。
財政政策…井上財政
| あ.財政緊縮
| い.金解禁(後述)
| う.産業合理化…重要産業統制法(昭和6(1931))
| 各種産業部門におけるカルテル活動の保
| 護と生産・価格の制限を規定。国際的な
| 競争力を付けようとした。
└──→慢性的不況
輸入超過による円の為替相場の下落
↓
財閥系大銀行…貿易関係資本は為替相場の安定による輸出価格
の安定に期待して金解禁政策を積極的支持