西洋経済史をまとめています。
☆第一次世界大戦は、英、独をそれぞれの中心とする帝国主義陣営による植民地争奪を主な争点として勃発した。
当時、バルカン半島は、ヨーロッパ列強の利害を背景とする民族的対立が激しかった。勢力を伸ばしていたセルビアとそれに反発するオーストリアとの関係が悪化していた。そんな中バルカン戦争は起こり、オーストリア皇太子がセルビア人によって暗殺されるというサラエボ事件を口火にヨーロッパ戦争を経て、さらにロシア革命、アメリカの参戦を通じて世界大戦へと発展してゆく。
1890年代以来のドイツ製品のイギリス帝国への侵入、バグダード鉄道建設をめぐる英独対立、ドイツによる植民地再分割の要求などの原因があいまって、英独戦争は不可避であった。戦争が長期化すると、参戦各国は経済・社会に対して国家の統制を強める総戦力体制をとり、植民地からも兵員や物資を動員して世界各地を戦争に巻き込んだ。
アメリカ大統領のウィルソンは、「14か条の原則」を発表して、新しい国際平和秩序の構想を示した。1919年のパリ講和会議は、これが基礎になったが、戦勝国側が自国の利益や植民地体制の維持を優先し、ドイツをはじめとする敗戦国に報復的な態度を取った。
その後ヴェルサイユ講和条約が調印され、その後の方針が決定される。世界の恒久平和をめざす史上初めての大規模な国際的機構である国際連盟がスイスのジュネーブに本部を置いて創設された。パリ講和会議で作られた新しい国際秩序を、ヴェルサイユ体制という。これによりドイツはすべての植民地を失い、アルザス、ロレーヌ地帯などの領土割譲のほか、多額の賠償金が課された。フランスとベルギーは、ドイツが賠償支払いを履行しないことを理由にルール鉱工業地帯を占領した。賠償問題を政府は紙幣増発で対応しようとしたため、インフレを引き起こした。1923年にはドイツをハイパーインフレが襲う。ドイツ中産階級の市民は貧困化し、それがその後のファシズム台頭の条件につながるのであった。
荒廃するドイツ経済再建のために、ドーズ案という包括的政策がとられる。アメリカにとってもヨーロッパ経済の混乱を回避しドイツ問題を解決しヨーロッパ経済を安定的発展軌道に乗せる必要があった。ドイツに課された賠償総額は変わらないが、これによって当分の間支払い総額は少なくなった。ドーズ公債(未曾有の規模のアメリカの対外証券投資)の発行、金本位制復帰という政策とともに、連合国がドイツの財政金融政策を管理し、賠償を取り立てつつ、国際経済にドイツ経済を復帰させ復興させるメカニズムとなった。(アメリカからドイツへ投資→ドイツ好況→賠償金支払い→欧州復興)
→世界恐慌へ
■ パクスブリタニカ… 一次大戦前
パクスアメリカーナ… 二次大戦後のアメリカ中心の国際経済システム
サミットG7体制… 1970年代以降の対米日の協調体制
■ 大英帝国―ブリティッシュエンパイア
1820−30 産業革命達成 圧倒的な生産力
19世紀 世界の工場 双務的貿易決済システム…イギリスを唯一の工業的中心にし、その他後進農業諸国を放射線状に結ぶ
19世紀末―20世紀初 アメリカ・ドイツの台頭 ミドルパワーへ転落
多角的貿易決済システム 複数の中心工業諸国と周辺農業地域をネットワーク状に結ぶ
イギリスを起点としイギリスに還流してくる世界的規模での資金循環
■ ポンド体制(1880―第一次大戦)
…イギリスの中央銀行といえるイングランド銀行の金利操作により機能
ロンドン金融市場(シティ)において、マーチャントバンカーによって世界的な多角決済のた │ めの海外投資資金が担われていた
↓
豊富な資金を世界一安い利子で借り入れ可能
ポンド資金は世界的に大規模で継続的に供給され、国際通貨としてポンドの地位が向上した。
イギリスはイングランド銀行を頂点とするロンドン金融市場の機能を通じて国際決済資金の膨張と収縮を調整する世界経済の統括者の役割となった!
■ 国際金本位制(1880−1914)
金とポンドとの固定的交換比率の維持ならびに基軸通貨としてのポンドの地位を前提としてはじめて成立しうる制度であった。
1金の自由鋳造 2金の自由溶解 金地金=金貨
3金の自由輸出入 国内=国外 4金の自由兌換 銀行券=金
■ 再建金本位制
☆1914年、第一次大戦勃発とともに各国の証券市場はパニックに陥り相次いで閉鎖。
イングランド銀行が公定歩合を引き上げたためポンドが沸騰しロンドンへ巨額の金が流入したため、各国は金輸出、金兌換を停止。金本位制は崩壊した。
アメリカは第一次大戦中、連合国に物資、借款を提供して莫大な利益をおさめた。限界に達しつつあった連合国の戦費調達問題を解決し、連合国の勝利に導いた。アメリカ金融市場で調達された資金はそれぞれの政府の軍需として大部分がアメリカの軍需品や食料の輸入決済にあてられアメリカに還流していった。ニューヨーク外債市場を確立、巨額の金準備背景により、ドルは安定通貨としての位置を確立させていった。世界生産、貿易、投資に占めるアメリカの地位は成長し、ヨーロッパとアメリカの経済的地位は交代していった。
1919年、アメリカはこうした背景のもと金本位制を復帰させる。
24年 ドイツ 25年 イギリス
戦後は従来の債務国から債権国になり、世界の金融市場をも支配するようになった。
■ 世界恐慌 大衆消費ブームに沸く20年代末におこる
アメリカを発端に世界に波及
30年 農業恐慌 ・豊作と産業不況で悪化
・金融恐慌による海外農業諸国の投売り→輸出不振
33年 銀行恐慌 ・国民総生産 半分に
国際金本位制の崩壊・各国が為替管理を徹底させ、独自の通貨ブロックに分裂
世界経済のブロック化は、ブロック間の経済的発展の不均衡を産み出し、帝国主義的領土分割闘争の激化をうながした
■恐慌克服
・ ドイツ ナチス経済体制→軍備拡大独裁
労働者の不満がドイツ革命となって現れる
ハイパーインフレ→市民の貧困化→ナチス4カ年計画…財政支出アンド投資 アウトバーン建設などの大規模な土木工事や軍需工業をおこす+巧妙な金融政策=完全雇用達成
景気過熱!
34年以降いっさいの対外債務のモラトリアム実施→「広域経済圏」の形成に奔走
・ アメリカ ニューディール政策→公共事業中心民主主義発展
「ホーレー・スムート関税法」保護貿易主義
その後ルーズベルトにより自由貿易主義に転換 ラテンアメリカ諸国と「互恵通商貿易法」
(関税引き下げによるアメリカ市場の開放と同時に相手国の門戸解放をせまる)
対外外国政策として2つの矛盾する側面・オープンドア政策…国際協調による世界貿易拡大
・クローズドア政策…孤立主義
国内均衡優先
・ イギリス スターリング・ブロックの形成
緊縮財政主義堅持
特恵関税協定…各自治領内の関税を下げ、他国に対しては高関税を課す
■ 第2次世界大戦
☆第二次世界大戦は、日本、ドイツ、イタリアのファシズム諸国家(枢軸国)が、領土拡大を目指してヴェルサイユ・ワシントン体制を打破しようとする動きからはじまった。vs民主主義を掲げる連合国
→アメリカ資本主義による世界支配体制を成立 アメリカという帝国主義国家の誕生
37年 中立法(アメリカ国民による交戦国への援助禁止)
38年 ドイツによるオーストリア併合
イギリスのチェンバレンは宥和政策によって対応
ミュンヘン会議によってズデーテン地方の割譲を認められつつもドイツはチェコスロバキアの解体を行う.
39年独ソ不可侵条約→ポーランド侵攻
9月 イギリス、フランスがドイツに宣戦→大戦開始
41年 武器貸与法 連合国への武器供給を認める
ナゼ宥和政策か?)スターリングブロックへの進出をねらっていたアメリカの経済的リーダーシップを受け入れたくなかった。アメリカへの財政的依存の回避
☆1941年 米・英首脳会談の結果、戦後の国際秩序と安全保障の原則をうたった大西洋憲章が発表された。
同年 アメリカは民主主義国のために兵器を提供するべきだとして武器貸与法が制定され、第二次世界大戦終了までに連合国38カ国に対して合計480億ドルの武器、弾薬を提供した。その3分の2はイギリス向けであった。
戦後アメリカは大戦によって危機に陥った世界各国を資本主義的に復興させ、社会主義ソビエトに対する体制を形成するために世界資本主義の再編をめざす。
1944年アメリカ合衆国のブレトン=ウッズ会議に連合国代表が集まり、国際通貨基金IMFと国際復興開発銀行IBRDの設立で合意した。この結果、アメリカ合衆国のドルは戦後の国際的基軸通貨としての地位を確立した。
■ ブレトンウッズ体制 ドルのみ金本位制 他はドル本位制
第二次世界大戦後の国際経済秩序は、1930年代のブロック経済化による貿易縮小の反省の上にたって、「自由・無差別・多角主義」を原則としてきた。この原則の元、先進諸国を中心に貿易や投資の自由化を推進するブレトンウ...