初期議会から日清戦後にかけての政党について。
初期議会から日清戦後にかけての政党について。
第一回総選挙
一八九〇(明治二三)年に、第一回衆議院議員総選挙が行われた。旧自由党系は大同倶楽部、再興自由党派(大同協和会系)、愛国公党系の三派に分かれ、改進党系勢力と争った。そして七月の総選挙では旧自由党系勢力の勝利となった。総選挙直後、立憲自由党が再興され、旧自由党系三派は合同した。第一議会が召集された段階での所属党派別の議員数は、立憲自由党一三〇名、立憲改進党四十一名、大成会七十九名、国民自由党五名、無所属四十五名である。立憲自由党・立憲改進党の野党勢力である民党一七一名が、大成会・国民自由党・無所属の与党勢力である吏党一二九名を大きく上回り勝利した 。
第一議会
一八九〇(明治二三)年十一月に第一議会が開会された。初代議長に立憲自由党の中島信行を、初代副議長に大成会の津田真道を選出し、貴族院議長は伊藤博文、副議長は東久世通禧が就任した。
十二月に山県有朋は施政方針演説を行い、「列強、特にロシアの脅威に対するためには、主権線と利益線の防衛が必要である」と強調し、その分の軍費(五年間に五三〇万円)を加えた一般会計歳出額八三三二万円と...