連関資料 :: 教師論2

資料:35件

  • 教師
  • 1872年(明治5)年8月に「学制」が頒布され、近代学校教育制度がスタートした。小学校教員の養成は、各府県に設置された師範学校で行い、中等学校の教員の養成は、高等師範学校が主に行い、これを教員検定制度が補う形であった。その養成は基本的に閉鎖的な直接養成制度であり、国の政策が直接養成機関に及ぶ仕組みであった。授業料等の学費は公費による一方、卒業後は指定された学校への就職が義務づけられた。この師範学校制度が教員の需要に十分対応できていたわけではなく、訓導と呼ばれる正規職員が不足し、授業生とか授業生補と呼ばれるもので対応していた。この教員不足を補うために、教員検定制度が導入されたのである。  1881(明治14)年には「小学校教員心得」を定め、16項目にわたって教員のあるべき基本的性格を記している。1886(明治19)年4月に制定された師範学校令は、当時の文部大臣、森有礼の天皇制国家を担う臣民育成を教師に期待し、その気質として「順良親愛威重の気質」が示され、兵式体操と寄宿舎における兵式訓練によってその育成が図られた。服従と規律を絶対化する教育は、軍隊教育をモデルとした教師の育成の中で具体化
  • 教師論第2分冊 第1分冊
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  • 教師 分冊
  • 教員養成制度の歴史と教員養成課程の問題について述べていくなかで、その歴史としてまず最初に、1872年(明治5年)8月に頒布された「学制」が挙げられる。これを近代学校教育制度のスタートとして、小学校教員の養成は、各府県に設置された師範学校で行われ、中等学校の教員の養成は、高等師範学校が主に行われていた。  このときの教員養成課程の問題としては、養成は基本的に閉鎖的な直接養成制度であり、国の政策が直接的に養成機関に及ぶ仕組みであったこと、授業料等の学費は公費による一方、卒業後は指定された指定された学校への就職が義務付けられていたことなどである。特に閉鎖的な養成・教育を受けることで、知識や思考が偏ってしまい、幅広い知識を生かせなかった可能性が考えられる。  しかし、計画的養成であったにもかかわらず、この師範学校制度が教員の需要に十分対応できていたわけではなく、訓導とよばれる正規職員が不足し、授業生や受業生補とよばれるものたちで対応していた。その結果、このような教員の不足を補うために教員検定制度が導入されたことにより、主に中等学校の教員の配給制度として大きな役割を果たした。  文部省は、18
  • 歴史 小学校 教職 学校 教員 教師 問題 学校教育 政策 授業
  • 550 販売中 2009/08/12
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  • 07801教師2分冊
  • 略題〈21世紀の教師〉縦書き・手書き 21世紀は、20世紀が工業化社会と呼ばれていたのに対し、「情報化社会」であると言うことができる。ここでいう「情報」とは、単なる「お知らせ」から、「データ」「コミュニケーション」、抽象化され一般化された「知識」までさまざまな内容があり、またこれらの総称として利用される言葉である。 これらの情報を加工し、流通させるための技術がIT(インフォメーション・テクノロジー)である。現在のITの中心にあるのが、パソコンとインターネットの存在である。インターネットはこれまでのコミュニケーションの手段を包括し、さらに新しい手段を提供する可能性を秘めた技術である。 ITの発展の速度はとても速く、数年前の知識が陳腐化し役に立たないものになってしまう。そのような速い変化に教師が教育者として対応していくために、教師自身のリカレント学習、つまりは常に新しい知識・技術を習得していく姿勢が必要となってきている。教育界においても文部科学省の主導で2000年度から順次国内の小中高等学校へのコンピューターの導入と、インターネットへの接続環境の整備が進められている。多様化する情報に飲まれ
  • 環境 日本 情報 インターネット 教師 コミュニケーション 倫理 社会 ジェンダー 文化 A
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