『明治期の学校制度改革』
明治期に、学校教育の近代化が進んだ。教育における機会均等の理念の具現化が進んだ。この時期、様々な教育改革が行われた。道は平坦なものではなかった。日本は国家として新しく生まれ変わり、内憂外患だった。そうした時代背景は、教育の思想や制度に強い影響を及ぼした。以下、複線型だった教育が単線化していく過程に重点を置きながら、制度変遷についての説明をする。またその背景にある教育的思想の変遷についても説明する。
近代学校教育制度は学制により確立された。だが江戸時代末期の教育の形も、その後展開される明治の教育の土台となるものであった。具体的には、寺子屋と藩校において近代学校教育の萌芽があった。まず、寺子屋で使われていた教科書に、近代社会を迎えて必要とされる知識が盛り込まれるようになった。また、国際情勢の緊迫化により、諸藩で人材が求められた。武士限定であった入学資格を足軽や庶民にまで広げたりした。カリキュラムも変わった。国学洋学だけでなく医術、算術などと近代化に必要な知識が求められたのだった。
1872年8月3日、学制が文部省によって公布された。これが日本の近代学校教育制度の原...