連関資料 :: 海辺のカフカ

資料:2件

  • 海辺カフカ」 「空っぽ」とは何かについて
  • 「海辺のカフカ」 「空っぽ」とは何かについて   海辺のカフカには、「空っぽ」という言葉がよく出てくる。下巻前半の偶数章では、ナカタさんが、自分は空っぽだということに気づく場面がある(p168)。 そこで、この作品において、空っぽとはどういうことなのかを考えてみたい。 空っぽに関連する記述を抜き出す  この作品には、いくつか「空っぽ」に関連する記述がある。 ① ナカタさんが「空っぽ」だということ ② うつろな人間たち ③ 自分が自分でなくなる状態 うつろというのは、空っぽという意味である。だから②の、うつろな人間たちというのは、空っぽに関連する記述とみなしてよいだろう。 ③の「自分が自分でなくなる状態」を、空っぽに関連していると考えた理由は、下巻p174のナカタさんの発言である。「ナカタにはそれに逆らうことができませんでした。ナカタには逆らえるだけの力がありませんでした。なぜならばナカタには中身というものがないからです」という部分である。 これはジョニー・ウォーカー殺しのことを、ナカタさんが言っている部分である。 ジョニー・ウォーカーを殺す場面は、上巻p313~314にある。そこで、ナカタさんは、「ナカタはもうナカタではない」ような気がしたとあり、それからジョニー・ウォーカーを殺している。そうすると、これが、逆らえなかった状態だといえるだろう。つまり、逆らえない状態とは、自分が自分でない状態といえる。よって、以下の図式が成り立つ。 逆らえなかった =自分が自分でない なぜならば         ⇒ 中身がないから   =空っぽ これら3つはそれぞれどういうものか。詳しく述べてある部分を抜き出してみる。 ① ナカタさんの「空っぽ」 「ナカタは頭が悪いばかりではありません。ナカタは空っぽなのです。それが今の今よくわかりました。ナカタは本が一冊もない図書館のようなものです」(下p168) 「空っぽということは、空き家と同じなのです。鍵のかかっていない空き家と同じなのです。入るつもりになれば、なんだって誰だって、自由にそこに入ってこられます。ナカタはそれがとても恐ろしいのです」(下p173) ② うつろな人間たち 「僕がそれよりも更にうんざりさせられるのは、想像力を欠いた人々だ。T・S・エリオットの言う<うつろな人間たち>だ。その想像力の欠如した部分を、うつろな部分を、無感覚な藁くずで埋めて塞いでいるくせに、自分ではそのことに気づかないで表を歩き回っている人間だ。そしてその無感覚さを、空疎な言葉を並べて、他人に無理に押しつけようとする人間だ」(上p384) ③ 自分が自分でなくなる状態・逆らえない状態 「言われたとおり、ひどいひどい砂嵐を想像する。ほかのことはぜんぶすっかり忘れてしまう。自分が自分であることさえ忘れてしまう。僕は空白になる」(上p9) 「それまで子どもを叩いたことなんて一度もありません。でもそこにいるのは私ではありませんでした」(上p209) 「君はその夢の中で、ほんものの姉や母を犯すことになるかもしれない。君にはそれを統御することはできない。それは君の力を超えたものごとなんだ。君はただ受け入れるしかない」(上p291) 「これ以上続けば、ナカタはおかしくなってしまいそうです。ナカタはもうナカタではないような気がするのです」(上p313) それぞれの空っぽの状態の相違点  これら3つは、関連はしているが、同じものとはいえない。うつろな人間は、無感覚さを他人に無理に押し付けようとする、となっているが、ナカタさんが、他人に無感覚さを押し付け
  • レポート 海辺のカフカ 村上春樹 現代文学 日本文学
  • 550 販売中 2006/12/08
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