保育者論 倉橋惣三の保育者論とフレーベルの園丁(庭師)思想について述べなさい。

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    保育者論 
    倉橋惣三の保育者論とフレーベルの園丁(庭師)思想について述べなさい。
     日本最初の官立幼稚園として開園された東京女子模範学校付属幼稚園に、主事として就任した倉橋惣三は、日本の幼児教育の父と呼ばれている人物である。彼は、大学で哲学心理学を学んだ後、大学院に残り児童心理学を専攻し、研究者として幼稚園と関わり、生涯を幼稚園で送ることとなる。大正8年には主事を辞し、文部省在外研究員として、コロンビア大学付属幼稚園、マクミラン保育学校、モンッテソーリー子どもの家、フレーベルハウスを視察し、大正11年に帰国後再び主事として復帰している。

     幼稚園が日本に創設された頃の保育は、フレーベルの思想や理念が伴っていなかったが、倉橋は海外での視察から得たものを活かし、広範な方面に新しい試みを実践したのである。

    フレーベルは幼稚園の基となる「幼子の花園」という名の施設を創った。幼児の教育に携わる保育者は、庭師のように花を愛し育てるのだと考え、子どもを花と例えた。それぞれの花(子ども)には、多くの可能性があり、その花を愛し支えること、そして太陽の光や水(環境)の大切さ、その花に合った育て方が大切...

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