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連関資料 :: 教育

資料:11,654件

  • ペスタロッチーの教育
  • 「ペスタロッチーの教育学(直観の原理など)について考察せよ。」 「私はむしろ、人間本性の本質の中にあって、すでにそれ自体真理であり、この人間本性そのものの自主性の作用である教育の出発点を認めております」  と述べているように、ペスタロッチーもルソーと同様に、子どもには将来発展する素質が備わっており、この素質が子どもの内から発展するように助成するのが教育と考えている。 彼は、子どもは生まれながらには未だ動物的であるにすぎず、この動物的衝動を根絶することが教育なのであると考える古い教育観に真っ向から反対するものである。真への認識、美の感情、善の力、これらは全て子どもが生まれながら有しているものであり、あたかも植物が発芽し成長し花を咲かせ実となっていくのと同様に、教育者は子どもの内的本性に備わっていないものを、外部から注入することは教育にふさわしくない。したがってわれわれはロックのようなタブラ・ラサ説とは異なる教育観をここに見出すことができるのである。すなわち、子どもの本性は白紙ではなく、既に将来成長する能力を内的に有しているのである。この能力を自然に即した形で伸ばしていくことが重要であり、ペスタロッチーはこの教育観を「有機的・発生的」と呼んでいる。さらに彼は、 「本能はその力を失うことなく、認識に変わるべきですし、経験はその無邪気とその汚れのない感覚を、あらゆる形態における自然の観察のための犠牲とすることなく法則に変わるべきですし、また法則はその厳密さを緩めることなく、愛に変わるべきであります」 とも述べている。つまり、子どもの内的素質を重視するという点で「有機的」であり、また自発的な成長を促している点で「発生的」でもあるというわけである。 またペスタロッチーは「探求」において、人類の進化を4つに分けている。その順序は、 (1)自発的状態、 (2)社会的状態、 (3)道徳的状態 である。最初無邪気さが現れるが、次第に我欲のために粗暴になる。そのため社会には我欲を抑える法秩序が求められる。さらに我欲が完全に抑えられ、人間性が達成される時、道徳的状態に到達することができるのである。ここでも人間を自然な形で道徳的状態にもたらすことが教育の目的とされていると言えよう。そして、ペスタロッチーは道徳性・宗教性の陶冶を重視するのだが、彼は母子の間で育まれる信頼・感謝・従順・忍耐の心が道徳的生活の基になるのだというのである。  またペスタロッチーの教育論の重要な柱として、直観の原理を挙げることができるが、直観の原理とはどのようなものか。彼はこう述べている。 「直観と感情とは、子どもの内的な能力の所産としてすでに本源的に人間的で、精神的かつ道徳的であります。人間は直観と感情をまず最初に知覚し、まさにそのことによって直観と感情それ自体と人間の内的なるものとを知覚する外界の対象から分けて、純粋に自由に直観され、感ずるのです。直観と感情とは児童と人類の純粋に人間的な、純粋に精神的な、また純粋に道徳的な文化のすべての単純な、不変の要素となり、そしてまた要素であるのです」 つまり、直観はすべての認識の基礎であるので、教育方法はまず直観でなくてはならないとされる。しかし直観において受け取ったものはまだ曖昧で混乱している。そのような曖昧な直観を明瞭な概念にすることが求められる。また、 「この直観の内にある混乱を止揚し、諸々の対象を相互に分け、相似たもの、互いに関係したものを、その表象において再び結合し、そうして、それらのものを我々に明らかにし、それらのものを完全な明白さにかたどって
  • 佛教大学通信 教育原理 ペスタロッチー
  • 1,100 販売中 2008/01/08
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  • 人権(同和)教育
  • ☆同和教育の意義・歴史を概括し、学校における同和(人権)教育実践の具体的なあり方について述べなさい。  1953年に教育関係者によって全国同和教育研究協議会が結成されて今年で55年目になる。同和教育という名称が使われるようになったのは第二次世界大戦中の1941年であるが、このころの同和教育というのは「国内で差別しあっていては戦争に負けてしまう」というような、軍国主義と結びついたものだった。戦後になってからは各地で異なった名称で呼ばれるようになったが、1952年に文部省が「同和教育について」という通達を出し、翌年この団体が結成されたことなどで、「同和教育」という呼び名が定着した。 B5・400字換算で約7~8ページ
  • 人権(同和)教育 人権 同和 教職 教育
  • 550 販売中 2007/12/05
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  • 道徳教育の課題について
  • 道徳教育の課題について  現代の道徳内容を考える上で学習指導要領の第6時改訂(小学校は平成10年)の内容を確認する。  小学校学習指導要領解説の道徳編ではこれからの学校と道徳教育について、学校は、子どもの豊かな人格を形成していく場であり、それは21世紀の学校においても変わることはないと述べた上で、これからの教育においては「生きる力」の育成が不可欠と述べている。「生きる力」とは、変化の激しい社会において、いかなる場面でも他人と協調しつつ自律的に社会生活を送れるようになるために必要な、人間としての実践的な力であり、豊かな人間性を重要な要素としているものであるが、これについては次に具体的な学習指導要領を見ていく中で触れることとする。 そして、道徳教育は道徳の時間以外にも全ての教科や学校での生活時間において指導すべきものである。その意味で、指導要領の道徳以外の部分についても見ておく必要があるが、指導要領の改定の基本方針において、道徳に関する記述が見られる。「道徳教育については、道徳の時間が十分確保されていないこと、道徳の時間に興味・関心を持っている児童の割合は学年が上がるに従って低下していることなど。」という点が問題点としてあがっている。これらの問題点に対して、授業実践の中でどのように行うかについても述べられているが、道徳に関していえば、「道徳教育や特別活動等におけるボランティア活動や自然体験活動などの体験的な活動の充実、道徳教育における低学年の善悪の判断や社会生活上のルールなど重点的な指導の工夫」といったことが、豊かな人間性や社会性、国際社会に生きる日本人としての自覚を育成することという項目の中であげられている。 さらに小・中学校学習指導要領「第1章総則」においても道徳についてどのように触れられているか確認しておく。「道徳教育は,教育基本法及び学校教育法に定められた教育の根本精神に基づき,人間尊重の精神と生命に対する畏敬の念を家庭,学校,その他社会における具体的な生活の中に生かし,豊かな心をもち,個性豊かな文化の創造と民主的な社会及び国家の発展に努め,進んで平和的な国際社会に貢献し未来を拓く主体性のある日本人を育成するため,その基盤としての道徳性を養うことを目標とする。」とある。 この中でも「生命に対する畏敬の念」という表現は1989年の学習指導要領の改訂によって付け加えられたことから、「いのち」に関する道徳教育を重視していることが見て取れる。もともとあげられていた人間尊重の精神とは、日本国憲法に述べられている「基本的人権の尊重」や、教育基本法に述べられている「人格の完成」などを指し示す内容であり、解釈として生命の尊重をも含むものである。しかし、含んでいるであろう内容をあえて別の表現として「生命に対する畏敬の念」と追加したことは、道徳のないように関して重要な課題であるとの認識をしていると判断できる。近年数多く発生している子どもに関する事件を見ると生きているものに対する思いやり、いたわりの心の欠如から起こっている場合が多く、生命に対する教育の重要性が問われている。その点において「生命に対する畏敬の念」とは、人間存在にそのものあるいは生命そのものの意味を深く問うときに求められる精神であり、生命のかけがえのなさに気づき、生命あるものを慈しみ、恐れ、敬い、尊ぶことを意味する。このことにより人間は、自他の生命の尊さや生きることのすばらしさの自覚を深めることができる。以上の解釈から道徳教育においては生命に対する畏敬の念という「いのち」に関する教育を重要な課題として
  • 道徳 教育 教育学 小学校 指導要領 生きる力
  • 550 販売中 2007/12/05
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  • 教育学論
  • 「わが国の教育基本法(昭和22年)の教育目的について考察し、『学校における教育目的』を具体的に設定せよ」 第二次世界大戦後、わが国において教育目的を想定した最も基本的な法律が、1947年に公布された「教育基本法」である。この法律は、平和的な国家及び社会の形成者としての国民の育成を強調し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとすることを信念とし、教育の力を借りてこれを実現することとされている。 教育基本法は、国家・社会の究極の課題と教育の目的とが固く結び付けられており、さらにこの教育の目的は、学校教育法において学校教育を段階別に細分化し、各段階の特徴を生かした目的が設定されている。例えば、小学校では「心身の発達に応じて初等普通教育を施す」高等学校では「心身の発達に応じて高等普通教育及び専門教育を施す」特殊教育であれば「幼稚園、小学校、中学校または高等学校に準ずる教育を施し、あわせてその欠陥を補う為に必要な知識技術を授ける」といった具合である。 しかし、この目的を教育実践として導くには問題がある。例えば、教育基本法の第一条では「人格の完成をめざす」ことが示されているが、実際に教育をいくら積み重ねても「完成」を実現することは不可能である。同じく「真理と正義を愛し」や「郷士及び国家の現状と伝統について正しい理解に導き、進んで国際協調の精神を養うこと」も、格調高い内容だとは思うが、小学生の子どもにとっても教師にとっても難しい課題だと言わざるを得ない。法の立案は、生身の人間を目の前に置かずに考えられることが多く、実際の教育とかけ離れすぎてしまい、結果、教育効果が期待できなくなる。又、あまりに抽象的で具体的な内容に乏しいことも問題である。先にも述べた「人格の完成」だが、これだけではどのような教育を展開すべきなのかが見えてこない。又、教育基本法には「社会教育」とあるが、一般には「生涯学習」
  • 環境 福祉 子ども 小学校 社会 学校 教師 発達 道徳 法律
  • 550 販売中 2007/12/20
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  • 教育原論テスト
  • コメニウスの教授学や一斉授業について述べ、現在の学校教育における意義を考察せよ。 ●教授学・・・「教育は実に万人に対して必要なものである」。つまりすべての子供が学校に通う事が必要性を説いている。貧富の別、男女の別、身分の別なく全ての子供に学校教育が与えられなければならない。さらに細かく述べれば、教育は幼児期に開始されなければならず、また教育の順序は、子どもの年齢段階と能力に適したものでなければならない。生徒は学年別、学級別で、毎日の学習内容に従って、学習は段階づけられ、最初にくるものが後から来るものへの道を開くように配列する。生徒は規則正しく登校しなければならない。教材では、先ず生徒に身近なものから学ばせる、それから遠くへ。既存のものから未知のものへ(易しいものから難しいものへ)そしてそれが十分に理解されてから記憶されなければならない。子供が自発的に学習するように、子供の内面に働きかけていく。子どもの感覚を通じて教えなければならない。全ての知識は感覚的直感から始まり・記憶力・理解力・判断力の順。全ては直感から始まり、そして五感を育成していくのである。 ●一斉授業・・・またコメニウスは効率的に授業を行う為に、教師1人が共通の教材を使い、多数の生徒に対して一斉に集団的に教授する事を主張する。そして、教師が高い教壇の上に立ち、全生徒をみわたす、教師は全生徒の注意を一点に集め、生徒の感覚に訴えて教授するのである。また教師はしばしば生徒に対して質問を発し、彼らの理解を絶えず確認しなければならない。教材は学年、月、週、日、時間、へと分割し、計画化された学習内容を生徒が学ぶように促さねばならない。そして、全ての学生が平等に教材を学ぶことが可能になる。 ●意義・・・ではコメニウスの教授学や一斉教授の現代的意義はどういうところにあるのだろうか。やはりそれは近代教育の父といわれるように、現代の学校での教育、すなわち学校教育のしくみを構想した事である。今日、日本をはじめ多くの国でみられる同一年齢・同時入学・同一学年・同一内容・同時卒業といったしくみは、コメニウスの構想に発するものだと言える。 また彼は世界初と言われる教育絵本『世界図絵』を完成させた。この本は、絵に言葉が添えられたまさに教育絵本である。言語の暗唱こそ教育と考えられていた当時にあって、この本はまさに革新的な存在であった。つまり、教育に「絵」など不要であり、おそらくは不謹慎とすら考えられた。そういう時代の書であり、またこれを人類共通の財産とすることにより、すべての人が共通の普遍的知識を持つことを目指したのである。それは、視聴覚教育の源流でもあり、共通教科書の原点だとも言えるかもしれない。このように、コメニウスの教育理念の核心は、「すべての人にすべてのことを」わかりやすく教育することである。その現代的意義は学校教育の近代化と、教育の平等、一般化、大衆化の実現ではないだろうか。今や、テレビやラジオ、インターネットが普及している時代であり。一斉授業の光景は時代錯誤という見方があるのも事実である。しかし私は、生徒同士の教えあいや、助け合い、コミュニケーション能力の育成にも、一斉授業の意義があるのではないかと思う。人間関係の薄さや、学力格差が問題になっている今こそ、コメニウスの教育思想が意味のあるものとなるように私は思う。 ソクラテス的対話(産婆術)について述べ、ソクラテスの教育学的意義について考察せよ。 ソクラテスは自分より知恵のある者を探し出そうと何日も何日も歩きまわり、何度も何度も問答を繰り返した。この時代の知
  • 佛教大学 通信 科目最終試験 教育原論 6設題全部 90点合格 800字以上
  • 550 販売中 2008/04/10
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  • 科学と教養教育
  • -33- 高等教育ジャーナル─高等教育と生涯学習─11(2003)        J. Higher Education and Lifelong Learning 11(2003) 科学と教養教育 北 村 正 直 * 北海道大学名誉教授 Science in Liberal Education Masanao Kitamura * Hokkaido University, Professor Emeritus 1. はじめに  「今日の焦眉の課題の一つは人類の文化の中での科 学の位置づけである。」これは科学史,科学哲学の分 野でのリーダーの一人であるハーバード大学のホル トン教授が最近の著書“Einstein, History, and Other Passions”(Holton 1997)の序文において最初に記した 言葉である。アメリカでは70年代頃より人文学,社 会学の分野で科学批判が強まってきた。しかし,この 批判は非科学的傾向から更に反科学,反理性的な様 相をもつようになってきた。このような傾向を彼は 憂慮し彼は93年に“Science and Anti-science”(Holton 1993)を著し,この問題を取り上げていた。ここでは 更に科学に対する批判を広く取り上げアメリカの大 学における一般学生の科学教育の問題点と共に論じ ている。  実は彼はすでに60年代に欧米の知識階級の間に在 る科学に対する批判的な傾向に気付いていた(Holton 1964)。彼は後になって当時の傾向を“Romantic Rebellion”と呼んでいる。この科学批判の一つは,現 代科学に対する感情的な不満から発しているものであ る。このような批判者は非常に深く科学を理解しては いるが,現代科学の新しい概念は感情的に受け入れ難 いようであった。彼等の言い分を一言でまとめると 「中世には,人々は有機的な世界像があり,哲学者も 文学者もそれが“理解”できた。しかし,現代の科学 は自然の微小な各構成部分について調べ,全体につい ては扱おうとしない。その結果,科学は人類から生き Abstract─We are living in a weird period, a postmodern era, where any established, objective knowl- edge is denied and replaced by subjective opinion, even a scientific theory is labeled as a social con- struct. In this paper we try to trace the origin of such queer ideas and examine the prevailing claims presented by some proponents, and conflicts between them and their critics, mostly from science. Fi- nally, science in liberal education for the new era is discussed, since such ideas have permeated science and mathematics education throughout the world, including Japan, and it is increasingly
  • アメリカ 科学 哲学 文学 問題 大学 現代 理解
  • 全体公開 2008/01/14
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