日中関係の歴史について、谷崎潤一郎の考えを基に考察を加えたもの。
谷崎潤一郎の中国に対する姿勢の特徴
耽美主義の谷崎潤一郎が、中国に2回も旅している。
資料によると、1回目は1918年、谷崎32才、文壇にその才を認められていた。「徳富蘇峰氏を始め、色々の人の紀行文や談話に依って、寒山寺は詰まらないところだと云うことを度々聞かされて居たけれど・・・」の著述を見る限り、中国に対して、期待していないような雰囲気が伺える。支那劇、支那の料理など古来から面々と流れている悠久の文化や美に対しては大きな興味と期待を感じる。そのころの中国は列国に蝕まれ、今にも倒れようとしていて、自国の存続という誇りをなくしているように見えたのではないか。政治や経済面では
脆弱さを露呈し...