日本法制史

閲覧数1,405
ダウンロード数3
履歴確認

    • ページ数 : 6ページ
    • 会員1,100円 | 非会員1,320円

    資料紹介

    慶應通信 2022年度 日本法制史合格レポート
    ※レポート作成の参考資料としてご使用ください。
    ※本レポートの使用が剽窃等の不正行為に該当しないよう取扱いには十分ご注意ください。

    タグ

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    2022年課題 日本法制史
    はじめに
    わが国の古代国家は、律令を基本法典とする律令国家として成立し法体系として、律=刑罰法規、令=行政法規、格=補充・改正法、式=律令の施行細則を指す。
    これを踏まえて本レポートは、律令格式が、隋・唐の制度をいかに変容して形成されていったのかという課題について、沿革的に述べていくとする。
    1、中国における律令法の形成
     古代の東アジアにおいて、中国王朝が文化的にも軍事的にも極めて強大な力を有し、日本列島はじめ朝鮮半島諸国は、中国王朝に朝貢しその代わりに法を獲得したのだった。
     春秋戦国時代に入り形書にはじまり、戦国時代の魏の李悝による「法経六篇」を経て、秦漢の頃までに国家法は律を中心として発達した。その後268年、西晋の武帝が公布した泰始律令によって、刑罰法規としての律と非刑罰法規・行政法規である令がそれぞれ体系的な法典として成立したのである。さらに、南北朝時代、北魏の「麟趾格」において格が出現し、581年に中国を統一した隋の律令へ至り、これが唐へも継承され、隋唐時代に至って律令格式からなる律令法の体系が完成した。
    2、日本の律令制度
    仁井田陞が『唐令拾...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。