「徳川吉宗・大岡忠相・日本・江戸時代中期」を選択し、彼らの生きた頃の時代概観及び地域の在り方を論述する。
「徳川吉宗・大岡忠相・日本・江戸時代中期」を選択し、彼らの生きた頃の時代概観及び地域の在り方を論述する。
八代将軍となった徳川吉宗は、紀州徳川家の出身で強運の持ち主であったと言われている。吉宗には将軍就任をめぐる多くのエピソードが残されているが、現代においても大変興味深いものがある。吉宗の行った政策を改めて見ていきたい。
彼はそれまで幕政を主導してきた譜代大名に対して遠慮することなく大胆に政治改革を行った。享保の改革と呼ばれるもので、上米制、定免法、目安箱、公事方御定書・・・などの政策があるが、中でも特に心をくだいたのが米価の安定であった。貨幣経済の進展に伴って諸物価の基準であった米価は下落を続け、それを俸禄の単位としていた旗本・御家人の困窮ぶりがが著しくなったからである。そのため彼は倹約令で消費を抑える一方、新田開発による米の増産、定免法採用による収入の安定、上米令、堂島米会所の公認などを行なった。このようなことから「米将軍」とも呼ばれていた。
それ以外にも、財政支出を抑えながら有為な人材を登用する足高制、漢訳洋書禁輸の緩和や甘藷栽培の奨励、目安箱の設置その他の改革を行なった...