ペスタロッチーの教育学(直観の原理など)について
まず、ペスタロッチーの誕生から考える。彼は1749年、スイスの首都チューリッヒで生まれた。父は外科医であった。が、彼が5歳の時死去している。その後彼は母と家政婦とお女性2人の手で育てられた。母親は3人の子どもを育てているが、全員に教育をしっかり付けさせている。決して今の私たちのような楽な生活から学問をさせたのではないと思われる。彼の教育観は、幼年時代に女性だけによって育てられたことに由来し後年は教育における女性の重要性を説いている。
彼の生涯は波乱万丈の人生だったと思える。彼は祖父の家を訪ねる毎に、祖父が貧しい人々の救助の為に働いているのを見て、自分も祖父のように牧師になり宗教の信仰でもって貧しい人々の救助事業にあたることを自分の一生の仕事とする。大学でははれは自ら学ぶうちに宗教
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から法学、政治学の勉強へと目標を変えていく。
貧しい人たちの救済は政治が大切だと考えて、政治結社を造り政治活動に没頭するようになる。が、後に政治事件により投獄され...