50年に及ぶ戦後の同和教育史を概括し、同和(人権)教育の意義と学校における同和(人権)教育実践のあり方を具体的に論述すること。
戦後の同和教育は京都市内の被差別部落を題材にした小説が出版された事で,戦後の解放運動から大きく転換する。1951年の「オールロマンス事件」である。これは京都市の職員(保健所)で、仕事上,見聞した被差別部落の実態を差別的な見解で興味本位に描いた文章であった。それは被差別部落に対する偏見と差別意識を助長させるだけのものであった。もちろんこの当時の部落は水道も引けず、火事になっても消防車も入れない細い通路等、生活環境は一般市民よりも過酷な状態に置かれていた。私が中学校の頃に「にんげん」で学んで、今でも覚えている事がある。水道はその地区に1つしかなく、全員で使用していた。洗面器も家庭に1つしかなく,そ
S0536 人権(同和)教育 設題1
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れで顔を洗い、それで米を研いでいたと。又、そこに住んでいる年配の女性が背中に「私はばかです」と書かれた紙を貼られていて、皆に笑われたが、自分は字が読めないので何で皆が笑うのか理解出来なかったそうだ。この事が...