世界の歴史・宋と中央ユーラシア/井原弘ら
科挙/宮崎市定
「蘇舜欽・方臘・林二十三娘-中国・宋」
宋は、960年から1279年に中国に存在した王朝である。宋代は、官僚制度、軍制、貨幣制度など諸制度の完備と完成が目立った。交通網の整備も進んだ。全国に道路網がはりめぐらされ、宿屋が完備し、人々が行き交った。五大十国の分裂時代に寸断された大運河や陸路も整備され、物流も激しくなった。ここでは、蘇舜欽・方臘・林二十三娘が生きた、現代社会の基盤が形成されたとも言われる近世初期「宋」の時代外概観及び地域の在り方について論ずる。
科挙制度においても、宋代に入り本格的に運用されるようになった。もともと中国には、郷挙里選や魏の九品官人法など、人のランクを定め、人材を抜擢する方法は古くから知られていた。それらはすべて他薦制だったが、やがて試験によって人選する制度が考え出される。それらが、隋になり貢挙が登場し、宋代の科挙官僚制へ繋がった。
科挙は、三年に一度行われ、合格者数は約六〇〇〇万人のうち数百人程度であった。例外を除き、全員に受験資格があり、合格後は官僚として登用されるため、受験者が多かった。しかし、長期的で連続した試験のため、絶えず勉強し続けるだけの...