介護コミュニケーション技術

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    資料紹介

    資料の原本内容

    介護コミュニケーション技術Ⅰ
    もし、私が聴覚障害者になったとしたら、日常生活の中でさまざまなことが障害になり、とても不便になるのではないかと考えた。
     まず、健聴者とのコミュニケーションをとるとき、不便である。 なぜなら、相手に具体的に何かを伝えたいときに私たちは、少なからず言語的コミュニケーションを利用するからだ。そのため、手話や筆談などという形でコミュニケーションをとらなければならない。そのためどうしても健聴者同士ではないはずのワンテンポが入ってしまい、それがプレシャーになるのではないかと考える。そして何より、誰でも手話が使えるわけではないし、どこにでも紙があるわけではないということからのコミュニケーションがとれない場合が生まれてしまうと思った。 それゆえに、途中からの会話には入りづらく、自分だけ聞こえないということから孤独を感じて、自然とコミュニケーションをとることを避けてしまうのではないかと考える。 しかし、その辛さを軽減するために、健聴者として手話を勉強して、手話を使えない人との架け橋になったり、先に紙に離したいことを書いて自分から筆談を進めることにより、いままでコミュニケーションをとったことのない人とコミュニケーションがとれるし、自分が孤独と感じることも少なくなるのではないかと考える。
    次に、町を歩くと時に不便である。 なぜなら外に出れば、外見は健聴者となんら代わりがないため、周りの人から健聴者として認識される。そのため車のクラクションや狭い道での後ろからの車の来る音、最近では地震速報など私たちが健聴者として耳で危険を察知して難なく避けられてきたことが、耳が聞こえないことにより、危険を察知できずに自分を危険にさらしてしま羽化脳性が出てきてしまう。 このことに対して、私たちができることは健聴者と見分けがつかないためほとんどないと思うが、もし近くに聴覚障害者の方がいるとわかったら、一緒にいて危険を代わりに察知してあげることや接触を持って危険を知らせることが可能だと感じた。
    この課題を通して自分がもし聴覚障害者だったらということを意識して一日を過ごしてみたのだが、人はかなりの情報量を耳から得ているんだと改めて実感した。そしてもし聴覚障害者になってしまったら、この情報を得ることが大変困難になり生活するだけでも大変ということがわかった なので将来、この介護コミュニケーション技術を通して少しでも回りの情報を共有していけたらいいと考えた。

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