連関資料 :: カラマーゾフの兄弟

資料:2件

  • ロシア宗教思想と文化 カラマーゾフ兄弟
  •  ロシア宗教思想と文化のレポートテーマとなるものは三つあるので、それぞれ一を大審問官の物語によるイワンの世界観、二をゾシマ長老の法話によるアリョーシャの考え、三をイワンとアリョーシャの議論とロシアの時代背景と三つに分け、考え議論していきたい。  まずは一番目のテーマである大審問官の章について考えていきたい。大審問官の話はイワンがアリョーシャに話す内容だが、何故イワンはアリョーシャにこのような話をしたのだろうか。それはイワンとアリョーシャの神に対する考え方の違いである。イワンは神など存在しないと考えており、アリョーシャは神は存在すると考えている。このアリョーシャの考え方を否定し自分の考え世界観を表すために、イワンはアリョーシャに対して大審問官の話をしたのだろう。  大審問官の話は復活したキリストと大審問官なる老人との対話である。しかし対話というよりは、大審問官がキリストに対して様々な問を出しキリストを問い詰めているように感じられる。しかもこの大審問官の問に対してキリストは聞いているのみで反論をしないのでキリストがいかなる考えをもっていたのか分からない部分がある。キリストは以前悪魔に三つの問を迫られたことがあった。一つは、石をパンに変えてみせろ。二つめは、神の子ならばこの場所から飛び降りてみよ、御使に受けとめられるのだろう。三つめは、もしひれ伏し私を拝むならこの全ての国をやろう。キリストはこの三つの問をすべて否定し実行しなかった。一つめの問に対しては、人はパンのみで生きているわけではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きていると。二つめの問に対しては、あなたの主である神を試すものではないと。三つめの問に対しては、退け悪魔よ、主である神を拝し、ただ神のみに仕えよと。この三つの問を大審問官は神秘、奇蹟、権威と表している。 キリストはこの神秘、奇蹟、権威を否定したことになるのである。キリストはこれらの問を退け人に自由を与えたが、大審問官は自由ほど耐え難いものはないと言っている。この両者の意見が食い違うのは人という存在の見方、考え方が違うからではないのか。大審問官は人を無能で卑しい弱き存在だと考えている。その無能な存在に自由などを与えても意味が無いと言っているのであろう。キリストは人を尊ぶあまり人に対してあまりに多くの要求をしすぎた。しかし弱き卑しい人間にはキリストが提示した要求は堪えられるものではなかった。だからこそ大審問官は、悪魔と手を組み、弱き卑しい人を罪意識から解放し、パンによって救済することを主張するのである。この事から奇蹟、神秘、権威こそが必要だと大審問官ないしイワンは考えているのであろう。そして奇蹟、神秘、権威こそ悪魔が満たしてくれるものなのだ。だからこそキリストではなく悪魔についているのである。 この事からイワンの世界観とは神秘、奇蹟、権威を基盤になりたった社会なのだろう。その基盤は悪魔によって出来ているので神の存在は認めずとも、悪魔の存在は認めているのではないだろうか。そして神が存在するからこそ罪というものが存在しており、神さえ存在しなければ全ての行いが許されると思っているのは、悪魔と手を組み罪意識から解放されたと考えているからだろう。確かに人というものは今まで権威の下に存在してきている。誰かが道をつくり指導者となり、その道を多くの人が歩いていく。そして国、社会というものが完成していく。もし誰も道を作らなければ人は前に進んでいけないのではないか。イワンの言う無神論は単に神が存在しないと考えているのではなく、神は途中で過ちを犯した為必要では
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  • 550 販売中 2007/02/02
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