寺島実郎は普天間問題に冠する報道を行ったメディア、そして日本の知識人たちの表情を『奴顔』と称した。奴顔とは、虐げられる事に慣れて強いものに媚びて生きようとする人間の表情の事である。
米軍との友好関係ばかりに目を向け、日米間の軍事同盟の関係性に変更を加えようとしない、それに拒否反応を起こすものが多いという事態に、寺島は奴顔という言葉を用いて例えた。本来、独立国に外国の軍隊が長期間駐留するという事は非常識である。日本には数多くの米軍基地があり、また米軍駐留にかかる維持費の7割を負担している。それは世界でも例を見ない事態にも関わらず、私達日本人はそれを常識、当然のことと認識してしまっている。「日米安保で飯を食べている人たち」、つまり現在の日米関係の結果の恩恵を受けているもの達にとっての良好な日米関係とは常に受け入れる側である日本側にあらゆる「責任」を追及し、国際貢献という名目を使って米国への協力を求めるといった一方的な関係である。
日米関係に関与していない多くの人は日米同盟の現実をろくに知らないという事実が、これらの日米安保のあり方をそのまま受け入れてしまったことに繋がると言っても良いだろう。中国の外交官や国際問題の専門家の幾人かには、日本から米軍が撤退すれば、昔のように再び軍国主義に陥り近隣諸国を脅かすのではないか、と懸念している人がいる。
このように日米安保はアメリカと日本の二国間だけの問題に留まらない事も自体を複雑化させている要因となっている。
日米安保体制とは冷戦を背景に構築されたものであり、当時はあくまで暫定的な措置であった。条約の必要性が消滅した時点でいつでも終了させられるそういったものの筈だったのだ。それなのに今現在もこうして昨日を果たしているのは、冷戦の終わりへの兆しを掴めなかった事、日本の政治政権が極めて流動的で短命政権の交代が続いた事が原因の一因であるといえる。
また、1997年の「ガイドラインの見直し」によって日米安保はその性質を大きく変えた。
今まではアジア地域に限定していた日米安保の対象となる有事の事態というものが、取り払われ、日本の平和と安全を脅かすものならば、それが何であれ米軍と共同して対処するという仕組みへと変化したのである。
これは実に大きな危険を含むのだが、こうした判断は超大国と化した米国に日本はついていくしかないという、深い考えもなく追随する思いが形となったものだと言える。
日米安保条約が締結されて60年と経た今、日本側のコストの増加も問題視されている。
1978年に「思いやり予算」という名目で負担したことを始まりとして、現在は日本側が負担を負う事が当然という状態へと化している。米軍関係者は「軍を配備する上で最も安上がりな国」として認識しているほどである。それに加え、日米の双方に日米安保に携わり利を得る人間を増幅させた事が、今の日本への負担の増加という現状変更を困難にさせている。それ以外の理由として、米軍は日本を太平洋を越えた補給地点、、舞台展開のための拠点にしようとしているという意見がある。この意見が真実だとすると、日米安保は単純に日本の平和を守るといった本来の目的から大きく外れ、イスラム原理主義とアメリカとの対テロ戦争に共同作戦として日本を組み込む基盤へと変質するものとなる。「中東のいかなる国にも武器輸出も軍事介入もしたことのない唯一の先進国」だと好感情を抱かれている中東に対して、日本をそのような立場に身を置く事は実に愚かな行為である。このことから日本は、日米で共同に当たるべき物事をもっと考え、日本の立ち位置を今より深く理解する事が大切である事が分かる。
今日日本を脅かす脅威とは、周囲の国々からの攻撃、侵略ではない。日米が共同して向き合わなければならない脅威というものも現在は大きく変化している。そういった変化に対応するためにも、日米同盟の再構築は必須であり、現状維持に留まる事無くその方向へ向かって議論を進めるべきなのである。