【R0105】日本史 第一・二設題レポートセット 佛教大学

閲覧数4,004
ダウンロード数80
履歴確認

    • ページ数 : 8ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    B判定でしたが、2設題セットです。学習の参考にどうぞ。①鎌倉幕府と執権政治について②初期議会から日清戦後にかけての政党について。
    留意点は「鎌倉幕府自体に関する既述」「離散集合に関する内容」について、もう少し深く掘り下げてみてください。
    <参考文献>概論日本歴史(吉川弘文館 刊)

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    ●第一設題  鎌倉幕府と執権政治について。
    ◆執権政治のはじまり
     執権政治とは、将軍(征夷大将軍)にかわって政治を執り行ったことであり、北条時政が初代となって、その体制の基を作った。
     正治元年(1199)に源頼朝が急死したことにより、長男・頼家が二代将軍として跡を継いだ。まだ年若かった頼家は武士達を統率する力がなく、そのため母である北条政子・その父の北条時政が代わりに政治を執り行うこととなった。これが執権政治のきっかけである。これが気にくわない頼家は気に入った御家人・武士達を集めて権力を取り返そうと試みるものの、1199年に梶原景時の鎌倉追放(翌年に殺害)をはじめ、1203年には頼家の弟・阿野全成が謀反の疑いで殺害され、比企能員、さらに一族が滅ぼされ、頼家の子・一幡の殺害など将軍位継承を巡る血なまぐさい事件が後を絶たなかった。
     頼家が母である北条政子、北条家よりも妻の実家比企家を頼ったことから、比企家が権力を握ることを恐れた北条氏は、将軍独裁の政治から、有力御家人十三名の合議制を成立させる。頼家の親裁を停止し、北条時政が十三人に加わり、さらに子の北条義時をも十三名の中に組み入れる...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。