次の二問について、すべて答えなさい。
一、近世の文化について、前期の寛永文化、中期の実学の発展、後期の洋学の発展のそれぞれについて概観しなさい。
二、明治六年政変と明治十四年政変における板垣退助と大隈重信の下野から隈板内閣の成立までの政治過程を概観しなさい。
一、近世の文化について、前期の寛永文化、中期の実学の発展、後期の洋学の発展のそれぞれについて概観しなさい。
十七世紀前半の寛永文化はサロン文化と呼ばれている。中世以来の座や寄合の伝統を受け継ぎ、身分や階層ごとにサロンが形成され、それが連鎖したかのように交友が行なわれた。サロン文化の中心となったのが数寄屋風書院などで行なわれる茶の湯と和歌であった。「かぶき」の時代も終焉を迎え、「きれいさび」と呼ばれる穏やかな優美さの精神があふれた。
本阿弥光悦や俵屋宗達が残した作品も寛永文化の美意識を代表している。彼らは好んで『源氏物語』や『伊勢物語』、『枕草子』や『古今和歌集』などの古典文学を題材に選び、日本版ルネサンスに貢献した。さらに木活字による製版が始まり、仏教書や学問書の出版が行なわれた。また仮名草子や俳楷書、往来物なども出版され、都市部だけではなく農村部にも広く普及していった。寛永文化はまさに啓蒙時代への先駆けであった。
十七世紀後半の元禄時代には、諸産業の発達に伴い、人々の日常生活に役立つ実学が発展した。まず農業では農業技術が体系的に論じられた農書が作られた。『農業全書』を著した宮崎...