中世におけるゲルマン法と裁判について
中世の時代、フランク王国では法秩序を維持するために国王裁判所が存在していた。国王裁判所は、他の裁判官が裁判を拒否した場合に直轄権を持つなどとして法を守る。
また、国王の代わりに地方で支配をするグラーフが存在し、彼は裁判権を持つ。この時期、民衆裁判が改革された。40日ごとに定期的に開催され、すべての自由人は出席を義務づけられていたが、年3回の開催にまで減らされた。また、グラーフだけでなく参審人という機関が置かれた。これはゲルマン法の概念である「裁判官」の役割と「判決人」の役割を分割するものだ。つまり、グラーフは、裁判手続きを進めるための必要な強制措置をとる義務と、言い渡された判決を執行する義務を負った。
そして参審人が法を築いていく役割を担った。当時はまだ識字率も低くために、法律が成文化されていたとしても、市民には伝わらない。つまり参審人の口から判決を言われ、それが法秩序を作っていく。私たちが今、法だと考えているものは色々な裁判所において、時代とともに積み上げられた判決の集約を成文化したものだ。他の見方をすれば、識字率の向上は法を成文化して世の中の人々に対して法秩序を形成した。つ...