ローマにおける法と訴訟について
罪刑法定主義や疑わしきは被告人の利益にという言葉は、古代ローマ共和制の時代に形成された法の概念が発達したものである。
ローマ法の市民法ができるまでは、法というものは、特定の階級の人々が守るべきものであった。当時の国には、階層や階級の差別があたり前のように存在し、これが国制の個性を示した。
しかし、ローマ法で市民法という概念が完成した。つまり、特定階級以外の人々も守らなければならなくなった。これの発端は、元老院と民会集会の間で徐々に体系化され、口頭の伝承に基づいて成長していった。口頭の伝承となると両親から教わった習い、慣習、伝統をあり所にした。
こうして、市民法が発達していくと司法のための官職が必要となっていった。そこで現れたのが軍事指揮権や警察・強制権を持つ政務官であり、裁判権を担うようになる。政務官は一年の任期で選出される。政務官は、下層民の刑事事件について裁判権を行使した。
また、反逆罪のような重大な犯罪は当初、民会や陪審裁判に訴追されていたが、紀元前2世紀中頃から常設の裁判機関を設置した。
しかし、この陪審員は政治の中枢を担う元老院の貴族であった。この時代に、...