【聖徳大学】東洋の歴史Ⅰ 課題1[A] + 課題2[A] + 試験対策[S]

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    資料紹介

    ■第1課題 第1設題 A評価
    秦の始皇帝の中国統一事業
    [講評]
    ・よくまとめているレポート。
    ・統一事業の必要性や後世への影響の考察があるとなおよい。
    ・レポートの構成として、最後にまとめの部分を設けるとなおよい。

    ■第2課題 第2設題 A評価
    中国における官吏登用制度の変遷
    [講評]
    ・よくまとまっているレポート。
    ・制度導入にかかる時代背景の考察があればなおよい。
    ・レポートの構成として、最後にまとめの部分を設けるとなおよい。

    ■試験対策 S評価
    正誤問(解説付き)、穴埋め、論述(全4パターン対応)
    ※経年による傾向の変化は自身で確認のこと

    ■参考文献
    『東洋の歴史Ⅰ』和泉新 聖徳大学通信教育部 2004年4月1日
    『東洋史要設』鈴木俊 吉川弘文館 1960年5月31日
    『秦の始皇帝』陳舜臣 文藝春秋 2003年8月
    『漢代官吏登用制度の研究』福井重雅 創文社 1988年12月10日
    『科挙 中国の試験地獄』宮崎市定 中央公論新社 1963年5月

    ■備考
    資料は「第1課題→第2課題→試験対策」の順に記載。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    第1課題 第1設題
     前221年、富国強兵策に成功した秦は戦国六国を滅ぼし中華統一を果たす。しかし、春秋戦国という数百年の混乱期をようやく終えた中国は、七国それぞれが培った制度や文化をその土地に色濃く残していた。秦王政はこれを問題視し、あらゆる面での統一改革を実行する。具体的な内容は以下の通り。
    ■呼称の統一改革
    秦王政は重臣の王綰・馮劫・李斯らに称号を刷新する審議を命じた。それまで用いていた“王”は春秋戦国を通じ諸侯が名乗っていたため、統一後はその上位相当の号が求められた。王綰らは号を“秦皇”、指示を“命”から“制”、布告を“令”から“詔”、自称を“寡人”から“朕”にすべきと答申した。秦王政は号のみ自ら変え、新たに“皇帝”の称号を使う決定を下した。
    また、王の行いを評して死後贈られる謚の制度を、臣下が君主をあげつらうものとして廃止。そして自らを始皇帝とし、次代から二世・三世と数える様に定めた。なお、始皇帝は死後の称号として指示したもので、在位中は“皇帝”または“今皇帝”と呼称された。
    ■政治の統一改革
    強力な中央集権体制を確立するため、周代以来の封建制度を廃止し、全国に郡県制を施行し...

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