代理母出産・代理懐胎に関する論文の概要です。
論文の概要
私の姉が出産の際に向井亜紀さんと同じように、今後子どもを生むことができない状態になってしまった。姉は出産の際に胎盤を失ったものの、幸いにも女の子を授かることができ、私もそして家族も素直に喜んでいた。しかし、姉の旦那は複雑な心境だったようであった。なぜなら、彼は一人っ子であり、家の跡取りの為にも男の子が欲しかったようなのだ。その後、姉夫婦は様々な理由から離婚することになり、今は彼女一人で子どもを育てている。姉夫婦の離婚の理由には、姉がもう子どもを産むことができない身体になったことが、少なからずあったのではないかと私は考えている。私も男なので、姉の旦那が男の子を欲しいという気持ちがわからないわけではない。しかし、女性も自らの愛する男性の子孫を後世に残したいという気持ちがないわけではないであろう。このようなカップルを救うため、何かしら方法はないのであろうか。
姉夫婦のこのような出来事から代理母出産に関心を持つに至り、インターネットや書籍等で調べている矢先に向井亜紀さんの事件の最高裁決定が下された。私自身は、代理懐胎による出産には反対であるものの、姉夫婦にとってみればこれが日本において認められることにより、男の子どもを授かるチャンスが訪れることになるのだろうと思い、複雑な心境でいた。しかし、仮にも代理出産により子どもを授かったとした場合において、民法の解釈では「法律上の母は分娩者とする」という基準(最高裁が向井亜紀さんの事件においても言及している)があるので、やはり姉夫婦が代理母出産を行ったとしても、姉は生まれた子の法的な母親になることはできないであろう。では、本当に分娩者が法律上の母でなければならないのだろうか、世論においては最高裁決定に賛成する者は少ないように思える。だからといって、代理出産でしか子を授かることができないという理由だけで、「法律上の母は分娩者とする」という判例が法的安定性を失ってしまってもいけない。また、「母は誰か」という問題を考えるうえでは、母は誰かということよりも、出生を意図された子どもの最善の利益を考えて判断することが、最も重要であることも忘れてはならない。
このような出来事から、代理母出産と法的母子関係に興味を持つようになり、本稿では、親子法は子どものためにあるという観点から、代理懐胎訴訟最高裁平成19年3月23日決定の問題点を明らかにしたいと考える。
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