大学に提出するレポートとして作成したもので、よい評価を頂きました。テスト勉強の参考にもなれば嬉しいです。
外敵に国土を侵されたことのない東海の島国にとって蒙古襲来は延々と語りつがれる大事件であった。。一騎で立ち向かう日本の武士に対して集団戦法を用いて戦う蒙古軍。毒矢やてつはうなどが使われ、今まで日本の武士達が見たことも経験したことのないような戦いの末、神風(台風)が吹いてなんとか国難を逃れたといわれている。叶わぬ時の神頼みともいえる神風はその後も盛んに語られ、第二次世界大戦の特攻隊の名前にも用いられることにもなった。今回はこの蒙古襲来について、果たして神風は吹いたのか、またもし吹かなかったら日本はどうなっていたのだろうかという点について考察していきたい。
ことの発端は文永五年、蒙古の皇帝フビライが通商を求めて国書を日本に送ってきたことに始まる。時の意執権北条時宗は「所詮、諜状の体、無礼なるよりにて」と拒絶。フビライはその後、七年間に六度の元・高麗諜使を派遣したが、日本側はそれをすべて峻拒黙殺したのである。
業を煮やしたフビライは高麗で反乱を起こしていた三別抄が鎮圧されたのを受けて、朝鮮を日本侵略の拠点として日本遠征を決断する。世にいう文永の役である。約三万人とも言われる元・高麗の混成軍...