2010/05/26
実験心理学
ミュラー・リヤーの錯視
07PP037
岩村 康広
問題
錯視とは、視覚において起こる錯覚のことである。錯覚とは知覚と外界の物理的・幾何学的特性とのズレのことである。錯視の研究は1885年にオッペル(Oppel,J,J.)が、同じ大きさの空間でも、何もない空間よりも様々な物体で分割された空間の方が広く見える、と述べた分割距離錯視に始まる。
錯視の中でも、図形の線分の長さや角度といった幾何学的関係によって生じるものを、幾何学的錯視という。この研究は1890年代に最も盛んに行われた。多くの幾何学的錯視の中でも有名な例をあげるとミュラー・リヤーの錯視(図1)がある。
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図1 ミュラー・リヤーの錯視図
ミュラー・リヤーの錯視は線分の長さに関する幾何学的錯視である。具体的には、客観的・主観的に等しい長さの線分の両端に鋏辺を付け加えると、等しい長さの線分が長さの異なる線分として知覚されるという錯視のことである。このとき、鋏辺の角度(鋏角)が鈍角の場合(外向)には過大視がおこり、鋭角の場合(内向)には過小視がおこる(図1)。このような錯視をサイズの錯視という。
それでは、なぜミュラー・リヤー錯視において外向図形が過大視され、内向図形が過小視されるのだろうか。この原因について昔から多くの研究がなされており、さまざまな説が提唱されているが現在も定説はない。例をあげると、グレゴリー(Gregory,R,L.)などが、われわれの過去経験、環境世界に対する経験によって生じた知覚の恒常性と錯視対象とのコンフリクトによるものとしている。知覚の恒常性とは遠くにあるものと近くにあるものとでは、同じ大きさでも違って見えてしまうということである。つまり、網膜上の刺激の大きさは、距離に逆比例して変化するが、みえる大きさはそれよりもはるかに緩やかに変化するとうことである。このように、ミュラー・リヤーの錯視は一見シンプルであるかのように見えるが、複雑な知覚現象であるといえるだろう。
このミュラー・リヤーの錯視図において、実際に知覚された長さと物理的な長さの不一致の程度(錯視量)はどのくらいなのだろうか。これを定量的に測定するために、主観的等価知(point of subjective equality;PSE:一定の標準刺激に対してある心理的尺度において等しいと判断され得るような比較刺激の値)という概念を用いる。数量化するための精神物理学的測定法として3つの方法が用いられる。1つめは調整法(method of adjustment)で被験者が刺激を観察しながら所定の現れ方をするまで刺激を自分で変化・調整する方法である。これは個人差があるので比較的に誤差がでやすい。2つめは極限法(method of limits)である。これは被験者が決められた仕方で反応するように設定され、実験者が刺激を段階的に変化・調整する方法で、1つめの調整法に比べて誤差が少ない。3つめは恒常法(constant method)で、被験者はきめられた仕方で反応するように設定され、実験者が刺激を一定の段階群ごとからランダムに反復呈示する方法である。
今回は最も短時間でPSEを測定することが可能な調整法を採用する。この方法では被験者に練習の効果を与えるチャンスを抑えられることができるため、原理的問題が少ないといわれている。本実験では合わせて、被験者が標準刺激に対して小さい比較刺激を呈示される上昇系列、標準刺激に対して大きい比較刺激を呈示される下降系列を利用する。
目的
ミュラー・リヤーの錯視図(図2)を使用し、調整法によって錯視量を測定した。また矢羽の形(鋏角)によって錯視量がどのように変化するかを測定した。
方法
・実験参加者:実験心理学演習に参加した大学生29名を実験参加者とした。
・材料:ミュラー・リヤーの錯視図(図2)を使用した。標準刺激(ミュラー・リヤーの錯視図形が描かれた型紙)の主線の長さは10cm、矢羽の長さは3cmに固定されているが、鋏角は60°、120°、180°、240°、300°の5種類が用意された。
標準刺激の折り目を内側に曲げて比較刺激(ただの線分が描かれた型紙)を差し込み、スライド式の器具を作成し、標準刺激の矢羽図形を差し替えることによって、鋏角の条件を変化させた。
・実験計画:被験者内1要因5水準(鋏角:60°/120°/180°/240°/300°)
・手続き:二人一組でグループを構成し、実験者・被験者の役割分担をした。ただし、全員がそれぞれの役割を経験できるように、役割を交代して2回実験を行い、最後に全員の実験結果を集計・処理した。
ミュラー・リヤーの錯視図の実験器材(図2)の、比較刺激の主線の長さを被験者自身が左右に静かに動かすことによって調整し、標準刺激である内向図形の主線と等しい長さに見える主観的等価点(PSE)を求めた(被験者調整法)。PSEと標準刺激の客観的な長さ(10cm)との差が錯視量であり、上昇系列(A)と下降系列(D)の2つの系列を5種類の鋏角ごとに4回ずつPSEを求めた。上昇系列(A)とは比較刺激の長さの調整の方向について、比較刺激が標準刺激よりも明らかに短く見える点から徐々に長くしてPSEに達するまで調整することであり、逆に下降系列(D)とは明らかに長く見える点から徐々に短くしてPSEに達するまで調整することである。その際、標準刺激が左側の視野、比較刺激が右側の視野になるように配置して調整した。
5つの条件(鋏角)の呈示順序はランダムとし、その順序を記録表の呈示順序の欄に記入した。また上昇系列、下降系列の試行順序は記録表の記載に従い、一人の被験者につき計40試行(5条件×8試行)の測定を行った。なお、いずれの条件も各試行で調整の出発点が一定にならないようにして被験者に手渡し、被験者には自然な態度で図形を観察し、見えたままの長さを比較して調整するよう教示した。また主線部分のみに着目して図形を観察するのではなく、図形を全体として把握する必要があることも同時に教示し、2・3回練習後、実験を開始した。図形面は視線に対して直角でかつ主線が水平方向に一致するようにし、目から25~30センチメートルのところに置き、各試行で変動しないように気をつけた。図形面の照度ができるだけ均一になるように留意した。被験者はPSEを求めた後、器具をそのまま実験者に渡し、実験者は器具の裏面の目盛りでPSEを読み取り、記録表に記入した。このとき、PSEの値が被験者に分らないように注意した。
標準刺激
比較刺激
主線
矢羽
鋏角
図2 器具の説明
結果
まず、今回の実験から得られた錯視量とその標準偏差を表1に示した。
表1 錯視量と標準偏差
角度
60
120
180
240
300
平均
9.6
9.8
10.0
11.1
11.8
錯視量
-0.4
-0.2
0
1.1
1.8
標準偏差
0.632
0.697
0.650
1.041
0.703
次に、表1から得られた結果をもとにグラフに表した(図3)。
錯視量(㎝)
鋏角(度)
図3 鋏角の大きさと錯視量の関係
上の表1、図3から読み取れることは、鋏角が180°、つまり主線と直角に矢羽が付いている場合、ほぼ錯視量がみられなかった。次に60°・120°の過小視が起こる鋭角の主線は9.6cm、9.8cmで錯視量が-0.4cm、-0.2cmといずれも10cm未満だった。一方240°・300°の過大視が起こる鈍角の主線は11.1cm、11.8cmと、どちらも錯視量が1.1cm、1.8cmと1cmを超えるという結果になった。
標準偏差を見てみると、ほぼ0.6~0.7におさまっていたが、240°だけ1.0を超えていた。
考察
今回の実験で錯覚を起こし、その標準刺激の矢羽の角度によって自分たちが知覚した長さと比較刺激の実際の長さがどれだけ違っているかを、数字に置き換えて錯視量として表わすことで、より具体的に錯視を体験することができた。実験結果を先行研究と比べてみると、問題で述べていたように、鋏角が鈍角の場合(外向)には過大視がおき、鋭角の場合(内向)には過小視が起こるという同じ結果になった。
このミュラー・リヤーの錯視は元々建物の壁をすみと見るか、角と見るかという経験に関係していると考えられている。実際、草原に円形の建物を建てて住み、畑を円形に作る民族では、ミュラー・リヤー錯視の錯視量は少ないことも報告されている。これはポンゾ錯視(図4)にも見られる。ポンゾ錯視とは、実際は同じ大きさの筒であるが遠くの筒ほど大きく見えるというものである。これは線遠近法と呼ばれており、絵画表現での透視図法と同じものである。
図4 ポンゾ錯視
以上のことから、わたしはミュラー・リヤーの錯視において外向図形が過大視され、内向図形が過小視されるのかという問題について、経験説が有力であると考える。
また、ほかの説明説も見てみると、大きさや長さの知覚は比較的低周波数の成分に規定されているという低空間周波数抽出説や、外向図形の時に視線が主線の端を超えて移動するのに対し、内向図形では視線が主線の端で止まるため錯覚がおこるとする眼球運動説などがあげられる。...