佛教大学 R0105日本史 第一設題

閲覧数1,881
ダウンロード数12
履歴確認

    • ページ数 : 5ページ
    • 会員770円 | 非会員924円

    資料紹介

    佛教大学通信課程のレポートを作成する際に参考になれば幸いです。

    添削担当者の評価を以下に示します。
    【設題の把握】 十分
    【テキストの理解】 十分
    【評価】A
    添削者からの訂正が無く、合格でした。

    タグ

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    鎌倉幕府と執権政治について
     鎌倉幕府はその初代将軍の源頼朝の死後、執権政治へと移行したと一般的には言われている。執権とは政所別当の中心者を指し、1203年(建仁三年)に政所別当となった北条時政が初代の執権とされている。そして以後約130年の間、北条氏により執権職が受け継がれ幕府が運営されていく。以下では、この執権を中心に進められた執権政治のあり方を、主に将軍との関係という観点から概観し、執権政治の一面を考察してみたい。
    1.執権と執権政治
    鎌倉時代の執権政治を考察するにおいて、執権政治というものがいつ開始したのかという点を明らかにしておく必要がある。この点に関して、執権職を代々独占した北条氏の権力基盤というものを考えてみるに、ひとえに初代将軍である源頼朝の妻である北条政子の血筋であるという血縁関係であるというよりほかはない。すなわち、北条氏は政子の存在を経由することで将軍の遠戚であった。ただし、政子自身は頼朝亡き後、承久の乱における諸御家人への演説や二代将軍頼家暗殺事件を理由とする時政排除などにおいて常に政治の中心人物となっていた。したがって、少なくとも執権政治の成立を考えるにおいて...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。