佛教大学通信課程のレポートを作成する際に参考になれば幸いです。
【設題】
「小説神髄」の「緒言」を読み、坪内逍遥が「小説神髄」を執筆するにいたった経緯についてまとめよ。
添削担当者の評価を以下に示します。
【設題の把握】 十分
【テキストの理解】 十分
【評価】A
添削者からの訂正がほとんど無く、合格でした。
坪内逍遥が『小説神髄』執筆にいたる経緯について
『小説神髄』は、1885年に坪内逍遥により刊行された「小説論」であり、この書が明治時代以降の文学に与えた影響が如何に多大であることは言を俟たない。逍遥は同書の緒言の中において、古くは平安時代から明治維新当時にいたるまでの物語文学の歴史を振り返りつつ、特に江戸時代後期から19世紀末にかけての小説界の有様に批判的な眼を向ける。その後、その様な状況を生み出した原因について分析を加え、逍遥自身による小説界再興の決意が語られている。以下では、上記したような流れにしたがって件の緒言を概観し、題目に記した『小説神髄』の執筆動機を明らかにすることを試みる。併せて、江戸時代に小説が生み出された背景や、『小説神髄』原文の言葉遣いに現れる逍遥の意気込みを捉え、設題の件に関し、より多角的な分析が可能になるよう努める。
1.物語文学の歴史
『神髄小説』緒言は、「盛んなるかな我が国に物語類の行はるるや。」の一文で始まる。続いて、『源氏物語』、『狭衣物語』といった平安期の物語文学から、柳亭種彦、滝沢馬琴などの江戸時代の後期である文化・文政期に活躍した戯作文学者の名前...