2014年度の明星大学 教育学部 通信教育課程における、レポート課題の合格レポートです。特に指摘もなく、高評価で1回目で「合格」の評価をいただきました。皆様のお役に立てれば幸いです。
(課題1単位目)
具体的な歴史資料(古文書・記録・文学・遺跡・板碑・棟札・景観)から一つ取り上げて、そこからどのような中世東京の歴史が見えてくるか説明しなさい。
(課題2単位目)
中世東京の地域史が、日本史教育のどの部分の教材として使用できるのか、その単元と関係について説明しなさい。
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(課題1単位目)
具体的な歴史資料(古文書・記録・文学・遺跡・板碑・棟札・景観)から一つ取り上げて、そこからどのような中世東京の歴史が見えてくるか説明しなさい。
(課題2単位目)
中世東京の地域史が、日本史教育のどの部分の教材として使用できるのか、その単元と関係について説明しなさい。
ここでは、具体的な歴史資料として板碑を取り上げて、どのような中世東京が見えてくるか説明する。
板碑から見える中世東京について述べる前に、まず板碑とは何かを確認する。
板碑とは、仏をあらわす梵字(種子)や仏像、造立目的、造立者名、年月日などをきざんだ石碑である。その頭部は三角形で、二条線がきざまれている。その大きさは、徳蔵寺(東村山市)の元弘の板碑を例にすると、高さ147cm 幅44cmであり、現代の一般的な墓石の大きさに近い。最大のものとしては、埼玉県長瀞町の応安2年(1369)銘釈迦一尊種子板石塔婆で約5メートルの高さがある。
板碑の年代分布はどうなっているのか。都内最古のものを挙げると、墨田・正福寺のものが1248年である。そこから南北朝時代、14世紀後半をピークに、16世紀には急減す...