ヨーロッパ共同体(今日の欧州連合(EU))の設立と欧州各国の外交
第二次世界大戦後の世界経済は、国際連合の成立、ブレトン・ウッズ協定に基づく国際通通貨基金や国際復興開発銀行の設立から分かるように、単一の世界経済体制と単一の世界市場の形成が目標とされたが、米ソ二大勢力の対立とそれに伴う世界経済の分裂により困難を極めた。世界各国は、それぞれ地理的に接近した地域に、地域的ブロック経済を行うことを目指した。特に、慢性的なドル不足とアメリカやソ連といった超大国とは国際的に競争ができないという事情を持つ西ヨーロッパ各国では特にこの認識が強かった。これが、戦後の西ヨーロッパで国際統合が経済の面から進行した最大の理由である。
第二次世界大戦後の西ヨーロッパ諸国は、経済復興と共産主義国家に対する軍事的安全保障の必要があり、これは各国政府の課題となった。そこで、征服によるものではなく、諸国家間の自発的な協力を通じて、統一的ヨーロッパをつくろうとする試みが民間の私的な運動として始まった。これが、「ヨーロッパ合衆国」運動、「ヨーロッパ連邦」運動である。
当初、これらの運動に対する各国政府の態度は比較...