日大通信 外交史 分冊1 合格レポート

閲覧数2,125
ダウンロード数2
履歴確認

    • ページ数 : 4ページ
    • 会員660円 | 非会員792円

    資料紹介

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    ヴェルサイユ体制とその崩壊について述べよ
     第一次世界大戦は、アメリカの参戦により、英仏側が勝利し、その後六個の平和条約が調印された。パリ講和会議にて、ドイツとはヴェルサイユ条約(1919年6月28日)、オーストリアとはサン・ジェルマン条約(1915年9月10日)、ブルガリとはニュイーイ条約(1919年11月27日)、ハンガリーとはトリアノン条約(1920年6月4日)、トルコとはセーブル条約(1920年8月10日)である。しかし、セーブル条約はトルコが調印を拒んだため、別にローザンヌ条約(1923年7月23日)が調印された。

     ヴェルサイユ条約は、単に旧敵国との講和事項だけでなく、第一編国際連盟規約(これにより国際連盟は正式に成立された)、第一三編労働など、全般的な国際平和機構、国際労働機構の設立を記載したものであったため、これに基づいた国際秩序はヴェルサイユ体制と呼ばれる。ヴェルサイユ条約により、ドイツは片務的最恵国条款や幾多の財政上、通商上の義務や制限が強制され、過酷な賠償義務が負わされ、通商上、財務上の諸制限が課せられた。そして連合国の軍隊がこの条約履行に対する保障として15カ...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。