内容を一部変更しました。
「
律
令
国
家
社
会
経
済
史
序
説
―
社
会
政
策
と
二
重
支
配
構
造
」
は
じ
め
に
本
稿
は
、
八
世
紀
前
半
の
日
本
を
農
村
の
社
会
経
済
に
重
点
を
置
い
て
考
察
し
た
も
の
で
あ
る
。
私
が
律
令
国
家
の
社
会
経
済
状
況
に
お
い
て
注
目
し
て
い
る
の
は
、
次
の
二
点
で
あ
る
。
第
一
点
目
は
、
律
令
国
家
に
は
現
在
の
社
会
政
策
に
も
相
通
じ
る
様
々
な
施
策
が
存
在
し
て
い
た
こ
と
で
あ
る
。
第
二
点
目
は
、
浮
浪
・
逃
亡
な
ど
の
人
民
の
支
配
体
制
へ
の
抵
抗
が
多
発
し
た
こ
と
で
あ
る
。
こ
の
二
つ
の
相
反
す
る
課
題
を
同
時
に
追
求
す
る
こ
と
に
よ
り
、
律
令
国
家
の
こ
れ
ま
で
注
目
さ
れ
て
い
な
か
っ
た
面
が
明
ら
か
に
で
き
る
と
考
え
て
い
る
。
考
察
の
中
心
と
な
る
時
代
は
八
世
紀
前
半
で
、
特
に
大
宝
律
令
が
成
立
し
た
七
〇
一
年
か
ら
藤
原
不
比
等
が
死
亡
す
る
七
二
〇
年
に
重
点
を
置
い
た
。
こ
の
時
代
は
、
ま
だ
律
令
国
家
体
制
の
建
設
は
不
十
分
で
あ
っ
た
と
い
う
見
方
も
あ
る
と
思
う
。
し
か
し
、
私
は
七
二
三
年
の
三
世
一
身
法
以
後
は
、
初
期
の
律
令
国
家
と
は
違
っ
た
観
点
か
ら
の
検
討
が
必
要
で
あ
る
と
思
う
。
ま
た
、
藤
原
不
比
等
が
日
本
の
律
令
国
家
建
設
に
大
き
く
影
響
し
た
と
考
え
て
い
る
こ
と
か
ら
、
こ
の
時
期
を
研
究
の
中
心
と
し
た
。
史
料
と
し
て
は
、
養
老
律
令(
施
行
さ
れ
た
の
は
七
五
七
年
で
あ
る
が
、
大
宝
律
令
と
ほ
ぼ
同
じ
内
容
で
あ
り
、
大
宝
律
令
は
現
存
し
な
い
為
使
用)
・
『
続
日
本
紀
』
、
及
び
オ
ン
ラ
イ
ン
で
公
開
さ
れ
て
い
る
正
倉
院
文
書
を
用
い
た
。
論
文
の
構
成
は
、
律
令
国
家
に
お
け
る
社
会
経
済
制
度
及
び
、
律
令
国
家
の
社
会
経
済
に
関
す
る
政
策
の
両
面
か
ら
の
検
討
が
必
要
で
あ
る
と
の
考
え
か
ら
、
第
一
章
律
令
国
家
の
社
会
経
済
制
度
・
第
二
章
律
令
国
家
の
推
移
と
し
た
。
論
文
の
構
成
は
じ
め
に
要
旨
第
一
章
律
令
国
家
の
社
会
経
済
制
度
(
一)
研
究
の
視
点
(
二)
税
制
度
か
ら
の
視
点
(
三)
土
地
制
度
か
ら
の
視
点
(
四)
地
方
行
政
か
ら
の
視
点
(
五)
小
括
第
二
章
律
令
国
家
の
推
移
(
一)
研
究
の
視
点
(
二)
慶
雲
の
改
革
と
飢
饉
(
三)
平
城
京
の
建
設
と
戦
乱
(
四)
国
家
統
制
の
強
化
と
人
民
負
担
軽
減
の
模
索
(
五)
小
括
総
括
・
補
論
・
参
考
文
献
一
覧
要
旨
こ
の
論
文
は
、
八
世
紀
前
半
の
律
令
国
家
を
農
村
の
経
済
を
中
心
に
考
察
し
た
も
の
で
あ
る
。
そ
の
際
、
重
視
し
た
点
は
律
令
国
家
に
は
人
民
に
対
す
る
様
々
な
配
慮
が
存
在
し
て
い
な
が
ら
、
そ
れ
と
相
反
す
る
人
民
の
浮
浪
・
逃
亡
な
ど
の
社
会
矛
盾
が
多
発
し
た
こ
と
で
あ
る
。
本
稿
に
お
い
て
は
、
こ
の
二
点
を
追
求
す
る
こ
と
に
よ
り
、
律
令
国
家
の
社
会
経
済
史
研
究
に
新
た
な
視
点
を
加
え
た
い
。
第
一
章
で
は
、
「(
一)
研
究
の
視
点
」
、
「(
二)
税
制
度
か
ら
の
視
点
」
、
「(
三)
土
地
制
度
か
ら
の
視
点
」
、「(
四)
地
方
行
政
か
ら
の
視
点
」
、「(
五)
小
括
」
に
分
け
て
分
析
し
た
。「(
一)
研
究
の
視
点
」
で
は
、
先
行
研
究
を
「
二
重
搾
取
構
造
」
と
「
原
始
的
社
会
政
策
」
に
よ
り
発
展
さ
せ
る
こ
と
を
述
べ
た
。
「(
二)
税
制
度
か
ら
の
視
点
」
で
は
「
原
始
的
社
会
政
策
」
と
し
て
、
律
令
国
家
の
税
制
に
は
社
会
的
弱
者
へ
の
減
免
措
置
が
存
在
し
た
事
や
徴
収
し
た
物
資
の
一
部
は
困
窮
者
に
支
給
さ
れ
て
い
た
事
に
よ
り
、
現
在
の
累
進
課
税
制
や
再
分
配
機
能
に
類
似
す
る
面
が
存
在
し
た
こ
と
を
明
ら
か
に
し
た
。
さ
ら
に
、
備
蓄
食
糧
を
十
分
活
用
で
き
な
か
っ
た
こ
と
が
人
民
の
生
活
を
悪
化
さ
せ
た
こ
と
を
明
ら
か
に
し
た
。
二
重
搾
取
構
造
と
し
て
は
、
出
挙
に
注
目
し
た
。
律
令
国
家
の
課
税
に
よ
る
負
担
だ
け
で
な
く
、
私
出
挙
も
逃
亡
の
原
因
に
な
る
こ
と
や
律
令
国
家
が
対
応
に
苦
慮
し
た
こ
と
を
明
ら
か
に
し
た
。
「(
三)
土
地
制
度
か
ら
の
視
点
」
で
は
、
「
原
始
的
社
会
政
策
」
と
し
て
は
、
班
田
収
受
制
と
「
山
川
藪
沢
」
と
表
現
さ
れ
た
共
同
利
用
地
に
つ
い
て
制
度
及
び
政
策
面
か
ら
検
討
し
た
。
二
重
搾
取
と
し
て
は
、
支
配
層
の
班
田
収
受
制
利
用
に
よ
る
勢
力
強
化
と
共
同
利
用
地
の
占
有
に
注
目
し
た
。
そ
し
て
、
班
田
収
受
制
と
山
川
藪
沢
に
は
、
制
度
と
し
て
農
民
の
再
生
産
維
持
策
の
面
が
あ
っ
た
こ
と
及
び
律
令
国
家
が
班
田
収
受
制
の
悪
用
や
共
同
利
用
地
の
占
有
を
是
正
し
よ
う
と
し
た
こ
と
を
明
ら
か
に
し
た
。
「(
四)
地
方
行
政
か
ら
の
視
点
」
で
は
、
律
令
国
家
の
地
方
行
政
制
度
は
、
現
在
の
社
会
政
策
に
相
通
じ
る
面
が
あ
っ
た
こ
と
を
考
察
し
た
。
そ
し
て
、
律
令
国
家
の
社
会
経
済
構
造
に
つ
い
て
、
先
行
研
究
を
基
に
自
分
の
仮
説
を
提
示
し
た
。
第
二
章
で
は
、「(
一)
研
究
の
視
点
」
、「(
二)
慶
雲
の
改
革
と
飢
饉
」
、「(
三)
平
城
京
の
建
設
と
戦
乱
」
、「(
四)
国
家
統
制
の
強
化
と
人
民
負
担
軽
減
の
模
索
」
、「(
五)
小
括
」
と
し
て
考
察
し
た
。「(
一)
研
究
の
視
点
」
で
は
分
析
上
の
着
目
点
と
し
て
、「
先
取
現
象
」
に
関
す
る
先
行
研
究
を
発
展
さ
せ
る
事
及
び
九
世
紀
の
「
徳
政
相
論
」
に
注
目
し
た
。
「
徳
政
相
論
」
は
、
「
軍
事
」
と
「
造
作
」
が
人
民
の
疲
弊
の
原
因
で
あ
る
と
し
て
い
る
。
八
世
紀
前
半
に
お
い
て
、
「
軍
事
」
と
「
造
作
」
に
該
当
す
る
事
項
に
着
目
し
て
人
民
の
疲
弊
に
つ
い
て
検
討
す
る
こ
と
を
述
べ
た
。「(
二)
慶
雲
の
改
革
と
飢
饉
」
で
は
、
慶
雲
の
改
革
と
全
国
的
な
災
害
・
飢
餓
の
発
生
に
つ
い
て
検
討
し
た
。
「(
三)
平
城
京
の
建
設
と
戦
乱
」
で
は
、
平
城
京
の
造
営
は
人
民
の
大
き
な
負
担
と
な
っ
た
こ
と
を
明
ら
か
に
し
た
。
「(
四)
国
家
統
制
の
強
化
と
人
民
負
担
軽
減
の
模
索
」
で
は
、
浮
浪
・
逃
亡
な
ど
の
社
会
問
題
を
受
け
て
律
令
国
家
は
社
会
経
済
に
対
す
る
国
家
統
制
を
強
化
し
た
こ
と
及
び
、
藤
原
不
比
等
政
権
は
末
期
に
人
民
の
負
担
軽
減
を
試
み
た
こ
と
を
明
ら
か
に
し
た
。
第
一
章
律
令
国
家
の
社
会
経
済
制
度
(
一)
研
究
の
視
点
前
述
の...