本リポートは、佛教大学通信課程の社会学概論(Q0706)第2設題のリポートである。設題は、「異文化理解の障壁となる考え方について述べよ。」である。判定はAでした。
なお、本リポートを丸々コピペすることは禁じられており、また近年はそういうことを発見するソフトも開発されておりますので、あくまで参考にしていただければ幸いかと存じます。
異文化理解の障壁となる考え方について述べよ。
はじめに
異文化を理解することは、じつは自文化を理解することにつながります。つまり、それは自分自身を理解することでもあります。例えば、文化摩擦という事態を考える際、そこでは、複数の文化の差異が問題視されます。一方では自明な作法や行為連関が、他方からは奇怪な出来事に見える場合もある。例えば、信じられないほど驚く時、日本人はよく「うそ」と言います。しかし、これを私の友人の中国人に言ったとき、彼は迷った結果、「私の発言ではない。」と返事してきました。私たちは驚き、共に外国人とスムーズにコミュニケーションを行うためには、言葉だけでなく、言葉の深層にある各国の考え方(および思想)を理解しなければならないと自覚した。実際、異文化理解の過程は、この「驚き」から始まるといっても良いだろう。
私たちが住まう文化の世界、つまり日常生活の世界を自明性の視点から問題としたのが、アルフレッド・シュッツ(1899~1959)である(以下、シュッツとする)。シュッツは「驚き」を方法としたわけではないが、日常性を支える自明性が私たち自身の日々の相互行為を通じて社会...