【P6703】【人権(同和)教育】のレポート資料です。
基本的には指定されているテキストの内容を要約したものなので、自分の意見や考えなどは少なく構成しております。
設題は、「50年に及ぶ戦後の同和教育史を概括すること。また、人権(同和)教育の意義と学校における人権(同和)学習のあり方を具体的に論述すること。」です。
トータル3307文字数で、3200語の指定文字数をクリアしておりオーバーしすぎることもない文字数で要約しております。
レポート作成時の参考資料にしていただければ幸いです。
50年に及ぶ戦後の同和教育史を概括すること。また、人権(同和)教育の意義と学校における人権(同和)学習のあり方を具体的に論述すること。
まず、戦後の同和教育史を京都市の取り組みより概括する。同和教育施策は、同和地区児童・生徒の長期欠席(以下、長欠)・不就学の取り組みに始まる。1951年、オールロマンス事件当時、同和地区の長欠児童・生徒数は京都市平均の10倍という高率であった。その原因の1つとして生活の困窮が考えられた。そこで、緊急の手だてとして1952年には“経済的援助の施策”として学用品などの現物支給を行う「特別就学励費」が制度化され、その後10年で長欠児童・生徒は大幅に減少することになる。しかし一方では、高校進学率は京都市の半分以下という状態であった。こうした実態をふまえ、60年代にはいると京都市の同和教育は長欠・不就学の取組から学力・進路保障の取組へというターニングポイントを迎える。1963年には「進学促進ホール」が制度化される。「進学促進ホール」とは同和地区生徒の高校進学率を引き上げるための同和教育施策名である。翌1964年1月には、「『学力向上』を至上目標とする」とした「京...