皇帝政治の確立と展開について、秦の始皇帝・前漢の武帝・唐の太宗を中心にまとめなさい。
皇帝政治の確立と展開について、秦の始皇帝・前漢の武帝・唐の太宗を中心にまとめなさい。
紀元前221年に「戦国の七雄」の一つであった秦の国王の政が中国全土を支配して名前を始皇帝とした。当時の中国人からすれば中国こそが全宇宙であるとの認識があり、その支配者として皇帝の名を付けた。秦の政治的基礎は始皇帝の100年ほど前の商鞅による「変法」で、その中で最も重要なものは郡県制であった。郡県制は国王を中心とする中央集権体制を構築するためのもので、従来の封建制度を廃止して各地を支配していた諸侯の権力を奪い、その地に「県」を設置した。そして他国を侵略して得た領域には「郡」を設置しこの「郡」「県」を行政単位とした。「郡」「県」には中央から官僚が派遣され知事として地方行政を担った。知事は国王の命令を忠実に実行し、国内全土での徴税や徴兵を可能にした。始皇帝は「郡」を36に分けて、最終的に48郡にした。全国を支配した始皇帝は思想統制に乗り出し、儒教の書物を焼き儒学者を穴埋めにする「焚書・坑儒」を実施した。儒学の理想は周の封建体制であり、始皇帝の全国統一の思想と相容れない立場にあったためそのような措置を取った...