女性詩人1名を考察
参考文献
展望 現代の詩歌3 明治書院平成19年
高田敏子は、大正3年に東京市日本橋区(現在の東京都中央区)にて、陶器卸業の次女として生を受ける。温厚
な父政右衛門は、勝気な母イトに代わって敏子を庇護し慈しんだ。以降、政右衛門は敏子にとって理想の男性像
となり、しばしば詩にも登場する。兄国太郎が本家の養子となってからは、二つの家を行き来しながら育った。
江戸情緒を残した日本橋、商家の賑やかな家庭で育ったことは敏子の人格形成、大衆性を有する詩世界、詩誌「野
火」の主催者としての指導力を培った。11歳の頃、ラジオ放送に魅了され童謡や民話を聴き、また愛読書の「赤
い鳥」の影響によって童謡風の詩を書き始めた。15歳の頃に、雑誌「すずらん」に詩や短歌を投稿し始めた。16
歳の時、政右衛門が脳溢血のため急逝した。命の儚さを痛感し虚しさから死に魅入られるほど思い詰めた。同時
に女性として自分を認識し始め、自らの生と性を身体感覚によって同時認識した。イトは政右衛門の死によって
錯乱気味となり、敏子も将来を悲観し死を夢見る。この危うい状態を文学によって救われる。「すずらん」への投
稿は止めず、その結果を待ち続けることや、同人誌「こゝろ...