男性詩人1名を考察
参考文献
展望 現代の詩歌3 明治書院平成19年
中村稔は昭和2年に裁判官でリヒャルト・ゾルゲの主任判事でもあった中村光三と、志満との間に次男として
生を受けた。千葉県木更津市で生まれたが、物心ついてからは埼玉県大宮市(現在のさいたま市)で過ごす。幼
少の頃は野球と相撲に熱中したが、運動は苦手であった。それでも成績は良くて、雑誌「少年倶楽部」などを愛
読し、ユーモア小説や軍事冒険小説に惹かれた。昭和14年に東京府立第五中学校に入学し、校内誌「開拓」に
詩を投稿した。その後編集委員を務め、詩や評論を発表した。昭和19年に第一高等学校文科一類に入学。いい
だもも、太田一郎らと同室の寮で生活した。この時期に中原中也、宮沢賢治、高村光太郎らの詩を読み、「詩」と
は何かについて理解を深めた。8月にいいだと北陸旅行し「海女」を書く。その後は中村光夫、原口統三との交
友も始まり、彼らからの刺激も受け文学に開眼していった。昭和21年に校内誌「向陵時報」、雑誌「世代」に於
いて詩を発表。昭和22年に東京大学法学部に入学。「新思潮」などで詩を発表。昭和24年に司法試験合格。以
後2年間修習生となる。第一詩集「無言歌」を作成し、「中原中也...