大阪芸短[国語]レポート② 成績B

閲覧数3,183
ダウンロード数15
履歴確認

    • ページ数 : 2ページ
    • 会員550円 | 非会員660円

    資料紹介

    テキスト第Ⅳ章の作家1巖谷小波~12 壺井栄の中から一人の作家を選び、その来歴を簡潔にまとめ、 二作以上の代表作について自分の考えを述べなさい。

    資料の原本内容 ( この資料を購入すると、テキストデータがみえます。 )

    宮沢賢治の来歴について述べておく。宮沢賢治は、岩手県稗貫郡里川口町(現:花巻市)に生まれる。家業は、祖父喜助が開いた質・古着商で、父の政次郎が継いでいた。岩手県は、定期的に冷害に見舞われる地域である。賢治6歳の1902(明治35)年、東北地方は凶作に見舞われた。岩手県では米は平年作に比べて約60%減収となった。さらに、1905(明治38)年東北地方は1902年を上回る大凶作に見舞われ、岩手県の米は約64%の減収となった。その後も凶作が起こっている。

    1915年(大正4)年、賢治は盛岡高等農林学校(現:岩手大学農学部)に進学する。賢治は友人、保阪喜内ら文学愛好者と共に同人誌「アザリア」を刊行し、短歌や小作品を載せていた。賢治が童話を創作しはじめるのは1918(大正7)年夏頃、童話「蜘蛛となめくじと狸」「双子の星」を家族に読み聞かせている。弟清六の記憶によればこれが、「処女作の童話」である。1921(大正10)年12月に稗貫郡立稗貫農学校(後の花巻農学校、現:花巻農業高等学校)の教論の職を得た賢治は代数や土壌を教授する一方、教室で童話「貝の火」を読み聞かせ、また「飢餓陣営」等の劇の上映も...

    コメント0件

    コメント追加

    コメントを書込むには会員登録するか、すでに会員の方はログインしてください。