Q0701日本仏教史の科目最終試験6題セットです。
2016年に85点で合格しました。教科書・レポートに基づいて覚えやすく作成しています。
科目最終試験の作成においては「段落をはっきりさせて分かりやすくまとめること」、「教科書に基づいて書くこと」、「最低でも800文字以上でまとめて解答用紙の7~8割は埋まるようにすること」を意識していました。
なお、この日本仏教史は各設題を教科書を中心にまとめましたが、750文字ほどにしかならなかった解答もあります。
聖徳太子の事跡およびその思想について述べよ
蘇我氏を中心に6世紀のうちに地歩を固めていった仏教が飛躍的な発展を遂げるには、なんといっても6世紀末から7世紀初めにかけての聖徳太子の活動を待たねばならない。教科書的にいえば、聖徳太子(574~622)は用明天皇の子として生まれ、推古天皇の即位とともに摂政となり(593)、遣隋使の派遣、冠位十二階、十七条の憲法の制定、史書の撰録などを行った人物である。つまり、推古天皇のもと、蘇我馬子と強調して政治を行い、国際的緊張のなかで大陸の進んだ文化や制度を取り入れ、さらに天皇を中心とした中央集権の新しい国家体制の整備に力を注ぐと同時に、仏教に心を寄せ、寺院の建立や経典の講説をなしたのである。なお、現代においても聖徳太子の築いた功績やそのカリスマ性は伝えられており、それは多種多様な聖徳太子に関する解釈論や、何度も我が国の紙幣に登用されていることに表れている。また、聖徳太子の思想・信仰に関しては『天寿国繡帳』や『三経義疏』から伺えるとされる。以下に聖徳太子と仏教について述べ、思想に触れていく。
聖徳太子は仏教を深く信仰し、これを日本でも盛んにしようとして...