B判定合格をいただいたレポートです。ご自身の学びにご活用ください。
『第三章「知識の問題」第一節「認識の意味」の内容を要約せよ。そしてテキストの内容に即して、自分のコメント・批判を加えよ。』
私達は感覚に導かれて生活している。けれども、感覚ほど不確実なものはないことも私達は知っている。同じ物を見ても、それは身体的・心理的状況や環境によって異なってみえる。そしてそれを私が見ているのと全く同じく他の人が見ているという保証はどこにもない。感覚は虚偽であり、何らの存在についての認識ではない。感覚は無についての幻のような表象であって、理性的認識だけが真実に存在をとらえる。けれども、感覚的認識が全く虚偽であり無であるわけではない、感覚は不確実であり何ら信頼するにたらないが、しかし少なくとも私にそのように見えることは確かである。感覚はその都度ごとに個人にとって真であり確実である。しかし一時的・個人的な感覚的認識は真に認識の名に価しない。私達の道徳的行為が成り立つのには、普遍妥当的な知識が求められる。
認識論は存在論を前提としている。その存在は、広い意味では生成・変化する存在と永遠不変な存在とに分かたれる。後者はイデアである。イデアはソクラテス的な普遍的定義である...